「存在」について
超実用瞑想の3大要素の一番の基礎となる「存在」について解説する。
1.「存在」の定義、言語による各種表現方法
「存在」とは、人間においては「何もしていない、何にも自己同化していない」状態、またはその状態において意識されるものを言う。
「存在」を言い換えると以下の様になる。
・無為・何もしないこと
・ただ「在る」こと
・手放し
・仏教で言う「無」や「空」の状態
等
「無為」と「存在」は同じ状態を異なる観点から表したものである。
それらは同じ状態のことを指すが、それを否定表現で表すと「無為」、肯定表現で表すと「存在」となる。また、「存在」に到達する手段として「無為」がある、とも言えよう。
超実用瞑想において「思考の放棄」を実行する時、思考している対象を放棄することによって、実質はその思考という「行為」を「やめる」という「無為」を実行していることになる。そうやってあらゆる事を「やめて」いくと、ある時点でもう「やめるべきものが何も無い」状態に達する。
その状態に達した人間が、他人に対して自分の状態をどう説明するかは、その人間の思考タイプにより様々である。
例1
否定表現例:私は何もしていない
肯定表現例:私は何もしていないが、存在はしている
前者は「無為」、後者は「存在」の言い換えと捉えることが出来る。
例2
否定表現例:何もない
肯定表現例:無限の空間が広がっている
前者は「物質」の観点から見た「存在」、後者は「空間」の観点から見た「存在」と考えられる。
例3
否定表現例:私はいなくなった
肯定表現例:私は宇宙と一体になった
瞑想者が思考と自己同化していた場合は前者の表現になろう。後者は逆に思考が無くなった結果、「思考の背景」にあるものを知覚し、それを「無限性」と解釈したと見られる。
この様に、瞑想で到達される状態は一般的言語世界においては定型表現が無いので、瞑想者は自分の状態を言い表すのに四苦八苦している。各人は言葉に執われることなくその背景にある状態を推察しなければならない。
2.「存在」の知覚方法
「存在」の知覚は最初非常に微妙で曖昧なものとして感知されるが、慣れるに従ってその知覚が確実なものになってくる。一般的にその知覚方法は「否定法→直接法」と偏移していくと思われる。以下解説する。
①否定法
これは、「何もしないこと」を突き詰めて行き、最後に残った「何か」と一体になることにより「存在」を知覚する方法である。
「何もしない」ということは「今している何かをやめる」ということであり、今考えていることを直ちに停止することを繰り返して「存在」に到達する方法である。
また、別のアプローチの仕方として、「無意識のうちに行っている『自己同化』を解除していく」という技法もある。これは、「私は〇〇である」という観点をどんどん手放していく方法である。
②直接法
これは否定法のアプローチを飛び越えて、直接に一気に「存在」を知覚する方法である。
否定法により「存在」の知覚に親しんでいくにつれ、その感覚は常に思考や行為の背景として存在していることが分かって来る。この「存在感覚」を覚えておけば、色々な思考や行為をしていてもその背景にある「存在感覚」をすぐに思い起こすことが可能になる。
3.「存在」の具体的感覚
「存在」はある意味「知覚できないもの」とも言えるが、そこに到達した時には明確な内部感覚の変化が現れる。
それは以下の様な感覚として知覚される。
・「自分が存在すること」に対する絶対的な安心感
・深いくつろぎ
・自己エネルギーの透明化・拡大感
・体内エネルギー(特にハラを中心として)の安定・充実
・変化する状況に関係無く常に一定した安定感
上記の感覚は以下に述べる「存在」の性質に起因するものである。
4.「存在」の性質
存在はそのアプローチ方法からも分かる通り以下の性質を持つ。
・個人の様々な状態に関係無く常に存在する
・消去することが不可能
・変化しない
・空間に依存しない
・時間に依存しない