直接瞑想の効用1 

-無料・休暇不要の趣味-

 

我々にとっての直接瞑想とは?

我々個々人の立場から見た直接瞑想の意味は虹の様に多彩である。我々にとって直接瞑想は目的であると同時に様々な意味と有効性を持つ万能な道具でもある。例えば以下の様に捉える事も出来る。

 

直接瞑想とは、お金と休暇が要らない最高の趣味である

我々が労働の対価として受け取る金銭の一部は様々な「レジャー」「趣味」と呼ばれる非実用的なるものに注ぎ込まれ、この理不尽で苦痛に満ちた生活を何とかやり過ごす為の潤滑剤となっている。

 

例えば「クルーザーで海原を駆け巡る」という趣味について見てみよう。

クルーザーに憧れる彼は大変な努力をして金銭を稼ぎ、時間をかけて勉強して船舶免許を取得し、膨大な費用と手間をかけて船体を手に入れ、港に場所を確保する。そして何とかやりくりをして休日を作るが、その休日の天候が悪ければ出港する事は出来ない。天気が良ければ車で港まで行き船体の手入れをして燃料を補給し出港する。一時の航海を楽しむ間だけ、彼の心は晴れ晴れと開き、平日のストレスをいくばくか解消する。その後港に帰り船のメンテナンスをして車で帰途に着き、また厄介な日常に舞い戻っていく。

 

この趣味を楽しむ条件は多数ある。

まず、かなりの金銭的余裕があること、船舶に対する知識と技能があること、十分な休日があること、その休日の天候が良いこと、その日の海上がクルージングに相応しい環境であること等々。この様々な条件をクリアした上で、やっといくばくかの海上の愉悦が得られる事になる。

しかし彼が海上に出た時、彼の心に何か重大な悩みや大きなストレスがあれば、彼はクルージングを心から楽しむ事は出来ないだろう。即ち、上記の様々な物理的条件の他に、「出港した時に、彼の心に大きなストレスが無いこと」という難しい精神的条件が加わるのである。

 

さらに、人間の特性として、「同じ行為を繰り返す程、その行為から得られる刺激は少なくなっていく」という「慣れ」の原則がある。クルーザーを手に入れた初期の頃は夢中になって我を忘れられるが、回数が増えていくに従って段々と刺激が少なくなり、色々な不満も噴出し、趣味から離れるかもっと高級なクルーザーを求めていくかという選択を迫られる時が来るのである。

 

「道楽とは、様々な苦痛と困難を経た後に得られる一滴の快楽である」と見抜いた作家がいるが正しくその通りで、多くの趣味において喜びの瞬間は一時であり、それを得る為に苦労している時間の方が長い事も多い。しかし、人々はそのレジャー・趣味における「最高の瞬間」だけを反芻し続け、結果としてまた同じ困難を繰り返す事になる。

 

「直接瞑想」は、これらの観点で言えば最高の趣味と言える。

直接瞑想に必要なものは「自分自身」と「少しの時間」だけである。慣れてくれば信号待ちの間や電車に乗っている時でも可能であり、もっと慣れてくれば日常生活の殆どの時間で可能となってくる。費用も掛からなければ場所も選ばない。物理的投資が「0」である。

さらに、趣味一般に必要な「趣味を楽しめない程の大きなストレスが無いこと」という精神的条件も必要ない。むしろ大きなストレスがある時ほど直接瞑想はその根本的解消になるのである。

そして実行した時の満足感・幸福感は最深・最高のものとなる。何せ、「人間として生まれてきた目的」そのものを果たしているのだから根本的満足と幸福感は当然と言える。

 

即ち直接瞑想とは、

「物理的条件も精神的条件も必要なく、いつでも実行できお金も掛からず、どんな気分の時でも実行出来る。そして得られる満足は人間としての根源的充足と根源的幸福感である。」

という、最高の「趣味」とも言えるだろう。

 

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