こどもと、オトナのための「老子」
老子じいちゃんと至くん
老子が一番好き。荘子も好き。 Taoistは・・・まぁ、お好きにどうぞ(笑)。
老子は、パンクだ。
ありきたりの価値観を持っていけば、目の前でそれを「無」へ放り投げた。
老子は、ヒッピーだ。
山の中に隠れ住み、ただ自分の中の「無」に服従して生きた。
老子は、究極のナマケモノだ。
自分の名前さえ言うのがめんどくさくて、誰も本名を知らない。
「老子」っていうのは、ただの「じいちゃん」って意味だ。
いつ生まれて、いつ死んだかも分かってない。
そんなもの、この巨大なじいちゃんにはどうでもいいことだった。
弟子達には一言も話さず、ただ黙ってそこに「存在した」。
それだけで弟子達は、空気の様に透明で宇宙の様に広大な教えを受けた。
老子は究極のヒネクレモノだ。
話さない事によって話し
教えない事によって教え
存在しない事によって
無限の空間の様に存在した。
老子じいちゃんはある日突然、自分の国がイヤになって
水牛に乗ってふらっと国境まで来た
その時役人に引き止められ
「何か教えを書いて下さらないと、ここをお通しできません」と言われ
仕方なく書いたのが「道徳経」
その後の老子の事は誰も知らない
老子が居た後の空間には、無限の「道」だけが残った
そこには「老子の不在」が存在していた
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実はそのあと
老子じいちゃんは名も無い小さな村の外れに住んで
小さな畑を耕して暮らしていた。
そこで一人の男の子と出会った。
その子の目に並外れた深い知性を見た老子は
初めて「言葉」を使おうと思い立った。
言葉は嘘で出来ている。
老子はそれを知っていた。
しかし、言葉は長く後まで残る。
一万人に一人くらい、真実が伝われば
言葉にも価値があるかも知れないと
老子は妥協した。
その子の名前は、至という。