個々人の観点における「超実用瞑想」の目的

「超実用瞑想」の実質的目的は以下である。

 

目的:「ハートの声に従い続ける」こと

 

「ハートの声」が聞こえ、それに従うことが出来、そのことが日常において継続的になった時点で「超実用瞑想」は完了する。

極めてシンプルな目的である。

 

「ハートの声に従う」ことが「本当の幸福」であり、「人生の本当の目的」であり、これが「真実」である。

 そして本当の真実には「理由」がない。ただそうだからそうなのだ。これは各個人が「体現」するしかない。

 

人間としての存在の中心核は古来より「魂」と呼ばれ尊重されてきた。その魂は肉体的には胸の中に存在し、「ハート」とも呼ばれている。これが人間の「本体」であり「本質」であり、精神世界においてはこの魂が様々に形を変えてこの世界に繰り返し出現しているとされている。いわゆる「輪廻転生」である。瞑想学においてはこの輪廻転生が事実であると仮定して話を進めていく(「前提」参照)。

 

全ての人間の本体は魂であり、それはある「目的」を持って肉体を持ち、この地球という星に生まれている。

その目的の一つは、「自分が魂であることを忘れること」である。

 

魂は元々神の一部として完全な幸福の中にあったが、常にその幸福の状態であった為「自分が幸福である」と言う事が自覚できなかった。そこで神は意図的に地球という「地獄」を作り、そこに自分の一部である「魂」を肉体と精神に宿して投げ入れたと思われる。

出産のショックですっかり「自分は魂である」という事を忘れさせるのは、この地球という「地獄」を確実に味わう為に必要な事であった。

 

同時に神は「本来の自己」である「魂」の代わりに新たに「エゴ」という「偽物の主体」を作りそれを人間に与えた。

 「自分は魂である」ということをすっかり忘れた人間は、この「エゴ」という新たな主体が「自分自身」だと誤解して生きている。

これが現在の地球に居る殆ど全ての人間の状態である。なので殆ど全ての人間が「地獄」に居る。

それは良い事でも悪い事でもない。神はこの地球を「魂が苦痛を味わう為の場所」としてデザインし、それに沿って人間達が生きているというだけの事である。 

 

人間存在は、その「地獄」を味わった後に「本来の自分」である「魂」を自覚する為に生きている。「魂」を自覚するまでは、この「地獄」から抜けられないのがここのルールだ。

 

「超実用瞑想」においては、この「地獄」の状態を脱する為にストレートに「本当の幸福」だけを狙う。

実践の初めから「本質的な最終目標」だけを狙う最短の道である。「ハートの声に従う」事が常態になれば瞑想の役割は終わる。

 

そして、ハートの開発を行う際は、「ただ存在する状態(存在)」と「空っぽの意識そのもの(意識)」の開発が不可欠である。

 

「存在」はまさに人間存在を超えて「存在する」、「あること」そのものである。我々は人間である前に、生物である前に、物質である前に「存在」であるのだ。

 

「存在の状態」とは「知覚対象は何もないが、『存在している』という事が知覚される状態」である。

この状態がもたらすものは、まるで母親の子宮に戻った様な、「自分の存在基盤に対する絶対の安心感」である。我々は「存在」している! 本当はそれだけでもうこの上ない幸福なのだ。「存在している」ということは「驚異」であり「奇跡」なのである。

 

「ハートに従う」事で魂は「本来の仕事」が遂行でき、それは幸せな事ではあるが、この「存在」という基盤が無いとその活動は安定したものにならない。またハート自身がこの「存在」を渇望している。厳密に言えば「存在の状態」になることも「ハートに従う」ことの一部なのだ。

 

そして「意識」もまた「ハートの望み」の一つだ。

瞑想で言う「意識」とは「思考の無い、空っぽの意識」であり、「意識が意識自身を意識している状態」である。

 

一般の人間にとって、「ハートの声」は極めて小さい。少しの思考によってすぐに掻き消されてしまう。

一瞬の「エンライトメント」で「ハートの声」が聞こえたとしても、次の瞬間にはまたいつもの思考が戻ってくる様では本質的には無意味である。却ってその「エンライトメント体験」に誇りを持つ事により自分の「エゴ」を肥大させている例がスピリチュアル界では多く見られる。 これをここでは「スピリチュアルエゴ」と呼ぶ。

 

瞑想においては来ては去っていく「体験」は問題ではない。その人間が普通の日常生活においてどういう内面状態で「臨在」しているかが重要なのだ。よって、「ハートの声に従う」ということを「体験」ではなく「臨在」で体現せねばならない。

 

うんざりする程の思考の連続の中で一瞬現れた「ハートの声」は、「ハートの声を常に聞くことへの渇望」を生み出す為に使われなければならない。「エンライトメント自慢」の種にする様では逆効果である。

「常にハートの声に従い続ける」という「臨在」である為にはこの「空っぽの意識」の状態になる事が不可欠である。その為には思考を停止させる為に、「思考より上位のもの」である「意識そのもの」が立ち上がる必要がある。

 この「意識の継続」無しには「ハートの声を聞き続ける」ことは出来ない。

 

以上をまとめると、

 

超実用瞑想の目的は日常生活において常に「ハートに従う」事が出来る「臨在」となることであり、その為には「存在」の状態と「意識」の状態の継続が不可欠である。

 

ということになる。