猛毒! 超実用瞑想

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※※「自分って一体何だろう?」「仕事はもううんざりだ!」などと思った事がなく、現代社会において何の疑問も無く生きている方は読まない事をお勧めします。あなたの中の「共通幻想」が壊れてしまっても責任は取りません。

 

この世で一番「使える」ものは、「何もしない」瞑想です。

「指月布袋画賛」‘を月様幾ツ、十三七ツ’ /「犬図」‘きゃふんきゃふん’ :仙崖義梵(せんがいぎぼん)、江戸時代の禅僧の禅画

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−はじめに−

「森羅万象全て」二つに分けると、

「瞑想」それ以外」となる

豊臣秀吉が若い頃、その才覚を爆発させて出世街道を駆け足で登り続けていた時、あるきっかけがあって始めて女を知りました。その時彼はこう言ったといいます。

「わしは今まであらゆる事を体験し、世間の事は全て知っているつもりじゃった。だが、実際の所わしはこの世の中の半分しか知らなかった!」

 

百姓から侍まで駆け上がった秀吉は、いわゆる「世間」と呼ばれている表立った目に見える世界については熟達者でしたが、その裏で世間を支え、ある意味支配しているとも言える女性たちの事については、全くの無知だったのです。

 

この最初の文の「豊臣秀吉」を「私」、「女」を「瞑想」と置き換えて読んでみて下さい。あ、「その才覚〜時」までは事実に反しますので省略して結構です。

こうなりますね。

 

「私が若い頃、あるきっかけで始めて瞑想を知りました。その時私はこう思いました。

『私は今まで生きてきて、世の中の事は大体知っているつもりだった。だが実際の所私はこの世界の半分しか知らなかった!』」

 

私にとって瞑想を知るということは、その位大きな出来事だったのです。

 

森羅万象を人間の視点から分類すると、「すること(Doing)」と「あること(Being)」の二つに分かれます。

我々にお馴染みなのは「すること」の世界です。朝目が覚めてから夜眠りにつくまで、我々は常に何かを「して」います。これは誰の目にも見える「表」の世界です。中国の陰陽の思想で言えば「陽」の世界と言えるでしょう。

しかしこの「陽」の部分は世界の半分で、陽の反対側には必ず「陰」があり、世界はこの「陽」と「陰」で成り立っているといいます。

 

我々は夜必ず眠りにつきます。もしこの眠りがなかったら、人間はどうなるでしょうか? 眠ることなく、永遠に意識が続く状態に人間は耐えられないでしょう。この睡眠という「陰」の世界があるから人間の活動は成り立っています。

 

眠っている間、あなたは何もしていません。起きている間あなたが持っていた「肩書き」や「お金」や「友人」も、寝ている間は何も意味を成しません。あなたは、ただ「存在」しています。これが「あること」の世界です。

 

私たちは「すること」の世界は良く知っていますが、「あること」の世界の事は良く分かっていません。何故なら私たちが「あること」の状態(睡眠等)にいる時は意識が無いからです。何があったのか、覚えていないのです。

 

私たちの多くはこの世界の「半分」、「陽」の部分しか知りません。そして殆どの人は、「陰」の部分が存在している事すら気づいていないのです。

これはとても面白い現象です。世界の殆どの人が、世界の半分しか知らなくて、しかもその事に気づいていない。

 

想像してみて下さい。

あなたを除く世界中の男たちの殆ど全ての目に「女」が見えていない世界を。

 

まあ、現実にはあり得ませんが分かりやすい例えとは思います(性差別云々は一時ご勘弁下さい)。

その世界は今私たちが生きている世界と同じく、男と同じ位の数の女たちがいます。しかし、男たちは皆そこらじゅうに溢れている「女」という存在に気づいていません。なので、「性別」の概念も無く、「なぜ自分はこんなに欲求不満なのか」という原因が全く分かっていません。「世界は男しかいない」というのが当たり前なので、「男」「女」という言葉もありません。男性は肉体的にも精神的にも女性を必要としていますが、ここの男達は「女性」というものが存在する事を想像すら出来ないのです。

 

その、欲求不満かつその原因が分かっていない男達の世界で、あなただけは「女」の存在を分かっているし、良く見えています。仲の良い女性も沢山いて、性的関係も自由に結んでいます。

 

あなたには、他の男達がどう見えているでしょうか?

もしあなたが同情深い人ならば、ここの男達になんとか「女」の存在を分からせようと努力するでしょう。

 

あなたは、

「この世には『女』という存在がいて、我々の欲求不満を解消してくれるのだ!」と声高に叫びます。

でも男達はこう言うでしょう。

「ならば、その『女』とやらを見せてくれ! ここに連れて来い!」

 

あなたから見れば、この世界のあらゆる場所は女性で溢れていますが 、それが見えない男達は、あなたの言う事に耳を貸そうとしません。しかしごく一部の男はあなたの目に真実の光を見て、

「もしかしたらこの人の言う事は本当かもしれない。ついていってみよう。」と思うかもしれません。

そのごく少数の男達は、あなたの元で修行(?)を積み、ついに「女」が見える様になり、女友達も沢山でき、性的交渉も自由にできる様になります。彼らは欲求不満から「解放」されたのです。

 

瞑想に熟達する事は、それと全く同じ意味を持ちます。

 

この例にあった架空社会の人々には「性」という概念がなく、自分の不安が何に起因するのか分かっていませんでした。

しかし「性別」というものが存在するのを知った少数の者は、自分の性的欲求を解消し、性の悩みから解放されました。

 

瞑想においてはそれよりさらに深い部分、すなわち、「自分はなぜ『存在』しているのか分からない」という、誰もが潜在的に抱えている「根源的不安」へ入っていきます。

この問題は、全ての人間がまず第一に取り組むべき物で、「自分がなぜ存在しているのか」が分からなければ何をやっても意味が分からず、欲求不満に陥ります。

しかし現代の社会は、「根源的不安は存在しない」という「共通幻想」を守っているので、この問題を公に取り上げてはいけない事になっています。なので人々の中の「根源的不安」は無視されていますが、その事によって人々の中には常に深い不安が存在し、それが様々な歪みとなって個人や社会に溢れています。これが現代社会の第一の問題です。

しかし面白いことに、現代においては「J−POP」と呼ばれる流行歌に「根源的不安」を訴える例が多く見られます。これは人々が「根源的不安」に気づいてきた良い傾向だと思われます。

 

さて、先程の「『性』の概念がない社会」をもう一度思い浮かべて下さい。

繰り返しになりますが、この架空社会の人々には「性」という概念がなく、自分の不安が何に起因するのか分かっていませんでした。

同じ様に、この現代社会の人々には「根源的不安」という概念が殆どなく、人々は自分の中の深い部分にある不安が何に起因するのか分かっていません。


先程の架空社会においては、「性」というものが存在するのを知った少数の者は、自分の性的欲求を解消し、性の悩みから解放されました。

同じ様に現代社会においては「瞑想」というものが存在するのを知った少数の者が、自分の「根源的不安」を解消し、「自分の存在の理由が分からない事に対する不安」から解放されています。

 

「私は私の存在理由を知っている! 私はこれをするために生まれて来た!」という方もおられるでしょう。

でもその主張をすること自体が、自分の存在理由に自信が無い事の証明になります。その「存在理由」はあなたが生まれた時からありましたか?

本当の「存在理由」の答えは、全てを削ぎ落とさないと分かりません。何故ならそれは後天的なものではなく先天的なものだからです。

 

 

 

冒頭で、人間の観点から森羅万象は「すること」と「あること」に分けられる、と言いました。そして一般の人にとって「あること」とは睡眠中の状態であるとも言いました。

瞑想とはある意味「意識を保ったまま眠ること」とも言えます。

 

「そんなの何の意味も無いじゃん!」

と思われるかもしれません。そう思われた方には、熟達した瞑想者の「目」を見る事をお勧めします。

彼らの前に一度立って見て下さい。

 

 

どんな感じがするでしょうか?

 

彼らは、あなたを底知れない目で見ています。

 

何か、「全てを見通されている」感じがしませんか? 実際彼らは、あなたの全てを見通しているのです。

彼らは今、あなた自身でさえ知らない「本当のあなた」を見ています。

「本当のあなた」とは何でしょう? それは彼らの目に描かれています。

 

 「本当のあなた」は、「世の中に振り回されて疲れ切っている、惨めなあなた」などではなく、「彼らがこのような眼差しで見るに値する、敬虔なる何か」なのです。

 

瞑想をすれば、それが分かります。

 

 

 

 

−ここから、本編−

瞑想は、一番の実用品だ。

瞑想とは、突き詰めて言えば「何もしないでいること」です。

「そんなもの何の役にも立たない。唯の現実逃避だ。そんな事してる暇があったら仕事なり家事なり趣味なり何かをした方が良い。」という考えの方も沢山いらっしゃるでしょう。でも実は、瞑想って一番の「実用品」なんです。瞑想の効用を挙げればキリがありません。

 

・思考に疲れた休めて活性化させ、瞑想後の仕事や学習の能率上げる

・脳が休まる事でストレスホルモンの分泌が抑えられ肌が綺麗になると共に表情も柔らかく姿勢も良くなり外見的魅力的が増す

冷静客観的な判断ができる様になり、無駄な作業をしたり余計なお金を使う事が少なくなる

・スポーツ等においていわゆる「ゾーンに入る」という状態(集中とリラックスが同居した状態)になりやすくなり、競技能力向上する

体の芯から、心の底から気持ちがいいので根本的ストレス解消になる

・今までストレス解消に使っていた多額のお金を節約でき、創造的有意義な事にお金を使う事ができる

深い部分活性化し、あれこれ考えなくても正確な選択ができるようになり、生きるのが楽になる

・「無駄な待ち時間」に瞑想できる様になるので、無駄な時間無くなる

・自分の周りで起きている事を客観的に見て的確判断できる様になるので、周囲から信頼されリーダー的地位になりやすくなる

・そこに居るだけで静かな存在感を放つ様になり、丁重に扱われる様になる

・余計な自己顕示欲少なくなるので落ち着き余裕ユーモアが身につき、異性にモテる様になる

・「沈黙」が苦にならなくなる。沈黙を恐怖する現代人の中では、これは極めて強力な武器になる

・今まで自己顕示に使っていた多額のお金節約でき、本物信頼友情を得るためにお金を使える様になる。それによりレベルの高い人たちとも付き合える様になり、人生そのものの質向上する

 

瞑想もひとつのテクニックですが、上記の様にテクニックを超えたものを成長させ、結果的に個々のテクニックを身につけるよりも役に立つ様になります。

 

実際に、自己啓発本等に書かれている様々なテクニックは、瞑想をやって視点が高くなってくれば自然に身に付くものも多いのです。

本の作者には瞑想を実践している人も多く居ると思いますが、それを言わない人も多くいます。なぜなら瞑想の効果をバラしてしまうと自分の書いた本のテクニックは必要なくなり、本が売れなくなるからです。元ネタは常に秘密なのです。

例えば私は居合術を長年修行していますが、刀を綺麗に抜く為には姿勢から始まり手の形や体の各部分の動かし方など様々な要素があり、それをひとつひとつ意識するのは大変な頭脳労働になります。「重心OK,手の形ヨシ、腰を開いて、鞘を引いて肩の位置は下げて・・・」と考えながら抜いていくと、必ず何かひとつの事に気を取られ何かを忘れてしまいますし、脳がすぐ疲れてしまい集中力が続きません。

それよりも刀を抜く前に瞑想状態を作り、何も考えずにただ「リラックスして気持ちよく動こう」と意思すると、体が勝手に正しい動き方をする様になっていきます。

 

ビジネスの場においても、挨拶の仕方や時間の使い方や相手へのアプローチの方法など個々のテクニックを身につける事は有意義ですが、それよりも瞑想によって人間的存在感冷静な判断力を身につけ、テクニック以前に相手に信用される様になれば取引の全てがスムーズに進む様になります。

セレブ」と呼ばれる人達には瞑想をする人も多いですが、逆に瞑想をしたからセレブになれたのかも知れません。

瞑想によって脳の深い部分を使える様になると、個々のテクニックを一つ一つ身につけるよりも少ない時間楽に成長することが出来ます。何よりも本人一番楽になり、周囲に振り回されて疲労とストレスでボロボロになっていた状態から抜け出し、大きなヨットに乗って進んで行く様に、楽に生きる事ができる様になります。 

 

個々のテクニックを繰り返しによる習慣化で身につけるのは大変な努力が必要ですし、身に付けたとしても中断期間があれば元に戻ってしまいます。TVや本で良い情報を見つけて、「お、これやってみよう!」と思い続いたものが何%かを思い起こしてみて下さい。殆ど1〜2回で止めてしまったのでは無いでしょうか?

 

その理由は、自分の「本質」はそれをやりたがっていないのに、「思考」が無理矢理それをやらせているからです。「思考」は「本質」には勝てません。表面上は「思考」が「本質」の意に反して何らかの習慣を獲得したとしても、傷つけられた「本質」は必ずどこかで復讐します。

それが、「何となくイライラする」とか、「他人に当たってしまう」などの「攻撃性」として表出してきます。自分を傷付けてまで努力している人は、しばしば努力の足りない他人に怒りをぶつけます。また、その「攻撃性」が自分に向けられると、悲観的になったり過食症拒食症になったりします。

 

個々のテクニックを、「本質」がやりたくないのに身につけるのはほぼ成功しませんし、成功したとしても「本質」は必ず復讐してきます。「本質がやりたがらないテクニック」の習得は有害なのです。

 

「そんな事言っても、仕事だから仕方ないだろ!」

 

その通りです。だから現代人は皆大きなストレスを抱えて生きているのです。

現在の高度にシステム化された社会構造においては、人間性よりシステムの維持が重視される事も多く、個々人にかかるストレス極めて大きくなっています。その典型的な例が「社畜」と呼ばれる、日本独特の会社世界の価値観に身を捧げる人たちです。社畜・同調圧力孤独化傾向・女性蔑視等、現在の日本という国は世界一ストレスが強い国とも言えます。

日頃から大きなストレスに晒されている人達の多くは、自分の自由な時間お金の殆どを日頃のストレスの解消の為だけに使っている場合が少なくありません。飲酒、ギャンブル、風俗等がその典型例です。

職人サラリーマンの世界に長く身を置いていると良くわかりますが、自由な時間とお金の全てはパチンコ風俗という人は珍しくもありません。

 

この様な人達は、「仕事による過度のストレスストレス解消の為だけの余暇→仕事による過度のストレスストレス解消の為だけの余暇」という、地獄の様なループからなかなか抜け出せません。その根本原因は、仕事や社会によって受けるストレスが大きすぎる事と、「自分とは何か」という問いの真の答えが無く、アイデンティティ真の居場所が無いことです。

 

この「地獄のループ」から抜け出す大きな力になるのが瞑想です。

 

瞑想を続けていくと、心の中に「静かな避難所」ができて来ます。今まで大きなストレスを感じていたケースでも、この「心の避難所」がある事によりストレス減っていきます。合気道の達人の様に、相手の精神的な攻撃サラリと躱し、逆に相手の力を利用して投げ飛ばす事が出来る様になります。実社会において、これ以上の実用的精神的護身術は無いでしょう。

 

また、自分の「本質」が良く見えるようになり、自分の「本質」は何が好きで何が嫌いかが分かってきます。それにより仕事における個々のテクニックに対する見方取り組み方が変わり、よりストレスの少ない仕事の仕方ができる様になります。「この仕事は自分の本質に合わないから別の人にやってもらおう」とか、「この仕事は今までイヤイヤやっていたけど、こういう視点で取り組めば自分の本質にとって面白い仕事に変えられる」など柔軟な対応が出来る様になります。

 

ある人は瞑想し始めてから、今まで嫌いだった客先への電話が逆に好きになりました。

「今までは、『この客に嫌われないように』と思って電話していたので、いつも怯えてビクビクしながら電話してました。でも、瞑想を始めてからは、『このお客をどう喜ばせようか』と考えるようになり、今は客先とのお話が楽しくて仕方ありません」

とその人は言います。

 

実生活でのストレスが大きく減る事によって、自由な時間とお金の一部を創造的な活動に廻す事ができる様になり、そこから新しい人脈世界が開けていく可能性が大きくなります。

今までパチンコに消えていたお金が、周囲の人の喜びの為に使われる様になるかも知れません。そこから周りの信頼友情を得て、新しい世界交友関係が広がり、地獄のループ」から抜け出す大きなきっかけになるかも知れません。

 

「このループは地獄じゃない! 俺はこのループが好きで、誇りを持っている。」という方も居られるかも知れません。

純粋にその仕事が好きで、組織内の友情尊敬の為に頑張っている場合は素晴らしいと思いますが、そうではなく「組織の中で認めてもらうこと」によって自分の存在価値を確認していたり、単に「他にやることが思い浮かばない(=自分の『本質』の望みが分からない)」から仕事にやりがいを見つけている場合もあります。 

この様な人達はいわば「地獄のループ」に依存している状態です。経営者の思う壺ですね(笑)。その様な人には、「真のアイデンティティ」がなく、組織の中で自分の価値が認められなくなったり、仕事を失ったりすると投げやりになったり最悪の場合は自殺したりしてしまいます。

 

しかし、瞑想により自分の深い部分に確信が持てる様になると、自分のアイデンティティを組織に依存する必要が無くなります。

「組織に認められてもOK、認められなくてもOK」という心理状態は大きな余裕を生み出し、組織を超えた視点を持つことができる様になります。結果として、望まなくても組織の中で重要な人物になっていくかも知れません。

 

 

まとめると、瞑想とは「何もしないこと」であり、その行為自体は何も生み出しませんが、瞑想によって得られた心理的・肉体的・人間的特質極めて実用的なものになります。 

 

そして、これからご紹介する「かんたん10分瞑想」が他の多くの自己訓練と違う点は、「お金がかからない」「道具がいらない」「場所や時間を選ばない」という事です。

 

例えば、いわゆる「セミナー中毒者」と呼ばれる人達は、自己啓発の為に各種セミナーを点々とし、結果的に数百万円近く使う人も珍しくありません。

しかし瞑想の場合は、一度覚えてしまえば全く費用はかかりません

 

また、自分の内側だけで行うので、道具もいりませんし、やる場所時間選びません通勤電車の中やコインランドリーの待ち時間でも出来ます。慣れてくれば目を開けたまま動きながらでもできる様になり、レジ待ちの数十秒でも深い瞑想状態に入る事ができます。

 

 

今日のスマホをいじる時間のうちの30分間だけ、瞑想廻してみませんか?

 

瞑想の効果を得る条件は継続的に続ける事だけです。続ければ続けるほど、その心地よさが増していき、無理なく自然に生活の一部になっていきます。そうなったらしめたもの。人生ものすごーく楽になります。

 

これから1ヶ月間だけ、あなたの一日のうちの30分間を、今後の人生の大きな希望の為に投資してみることをお勧めします。

しかも費用は無料でっせー。

 

(しかし、もしあなたの人生がすっかり変わり、どうしても道楽庵の活動を支援したくてたまらなくなった方は、とり10プロジェクトの方へご寄付お願い致します。現在キャンペーン中なのでお早めのご寄付がお得です。)

かんたん10分瞑想

「坐禅蛙画賛」 ‘坐禅して人か佛になるならハ(ば)’ / 「一円相画賛」 ‘これくふて茶のめ’ :仙崖義梵

論より証拠、まずはかんたん瞑想からどうぞ。

 

簡単ですが即効性があり、ハマればかなり深い所まで行けます。

10分5日間続けただけで、今まで数年間やってきた瞑想を上回る効果があった」という方もおられます。

この瞑想は初心者簡単にやり始められますが、長年他の瞑想をやってきた人にとっても「最後の、究極の瞑想」となりうるものです。ある人々にとっては、この瞑想が直接最短ゴールへ導いてくれるでしょう。

 

私の場合、集中してこの瞑想をやる様になってから数ヶ月人生から180度変わって呆気にとられています。

 邪魔者扱いの居候から魔法界の大スターになったハリポタ第一作冒頭30分現実になっていて、周りで次々と小さな奇跡が起こり続けています。

 

では実際のやり方を説明していきます。 

朝起きた時や、お昼休み、就寝前に、1日10分間だけ静かな時間。コーヒーブレイクより効きますよ。

 

瞑想の概要:やることを大まかに言うと、

1.背筋を真っ直ぐにする

2.頭の中に意識を向ける

これだけです。

 

瞑想の効果:上記の効果は

1.背筋を真っ直ぐにする

→体の余計な力が抜けてリラックスする

→エネルギーが下がっていき、下腹(ハラ)に集まる

→客観的に見れば「どっしりと落ち着いた状態」、主観的には「上体はリラックスして軽くなり、ハラが充実してポカポカと気持ち良い状態」になる

 

2.頭の中のある部分に意識を向ける

→余計な思考が減り、芯から休まっていく

呼吸がゆっくり、深くなっていく

→今まで経験したことのない、「真の休息」を味わえる

→さらに静かになっていくと、今まで使っていなかった脳の新たな部分が開発され、一段進化した存在に生まれ変わる

 

まとめると、

本人はどんどん「楽ちん」になっていき、周囲から見れば「どっしり落ち着いて頭が良く、頼れる存在」になっていく。

 

瞑想の実践

じゃあ、やってみましょうか。まあお気軽に。

 

1日10分だけと言っても、全く瞑想経験の無い方にとっては結構な負担と抵抗があると思います。

まず、「10分間じっとしている」といのはある人々にとっては大変な苦痛になります。でも、そういう人こそ一番瞑想の効果があります。1日10分の我慢をしばらく続けてみると、だんだんコツが分かって楽に、楽しみなってきます。

 

瞑想は最初は苦い。しかしだんだん甘くなる」という言葉もあります。そうなればしめたもの。人生がガラッと変わって楽になることを保証します。

 

1.背筋を真っ直ぐにする

日本人の大半は猫背です。日本人はこの猫背で大変な損をしています。それが何かは、背筋を真っ直ぐにしてみてご自分で確かめてみて下さい。

1.1 いつ、どこに座るか

基本的に椅子でも床でも自分が座れる所、座りやすい所、楽な所でどうぞ。床の場合は正座でもあぐらでも足を組んでも結構です。

ご自分の生活に合わせて、負担にならなくて続けやすい場所時間帯であることが一番です。

 

あぐらや足を組む場合はお尻の下に座布団を二つ折りにしたものなどを敷いて、お尻が床から浮いて、膝が床に着いた状態にすると自然に背筋が伸びて姿勢を維持しやすくなります。

 

1.2 手の形・場所

瞑想する時の手の形は色々あり、それによって得られる効果も違ってきます。基本的に自分の好きな形でよいのですが、私がよくやる形を紹介します。エネルギーの流れが良くなり、下腹が充実する組み方です。

「OK!」を二つ作って輪っかを組み合わせます。どちらが上でも構いません。自分の感覚にしたがって下さい。組んだら手の平を上にして臍の下部分ピッタリ付けます。腿の上に置くのではなく、少し浮かす感じになります。

敏感な人は、これだけでもう下腹(丹田)がエネルギーで充実してくるのが感じられると思います。

 

瞑想が深くなれば自然に手が下がる事もありますが、気にしなくて結構です。

 

 

1.3 腰を決める

少しそらし気味にします。骨盤を真っ直ぐ立てるイメージです。そして静かに呼吸し下腹(肚 ハラ)に息を入れていきます。

 

昔の武士は常にを着けていましたが、袴には「袴板」と言う固い板が腰側に付いていました。刀を使って命のやりとりをする侍たちが、なぜあの様な体の動きを拘束してしまうものを身につけていたのでしょうか?これでは腰が自由に動かせません。

 

実は、侍達はこの袴板で腰椎の下部を固定する事により筋肉の力を使わずに体軸真っ直ぐに保ち、正確素早く刀を振る事が出来たのです。居合をする方は分かると思いますが、袴を付けると姿勢が真っ直ぐ美しくなり、動きも軽くなります。

また、常に命の危険に晒されていた武士達は、突発的な危機にも冷静に対応する必要がありました。でなければ自分の命が危ういからです。

 

常に冷静でいる」という事を肉体的・エネルギー的に言えば、背筋が真っ直ぐ伸びて上体は脱力し、エネルギーは下に落ちて下腹(ハラ)が充実した状態です。この状態を「上虚下実(じょうきょかじつ)」と言い、日本の身体文化の大きな特徴となっています。 

 

へそ下5cm位、腹の表面から5cm程中の部分は「丹田(下丹田)」と呼ばれ昔から武術や芸事の世界で重視されて来ました。

下腹に呼吸を入れる事で丹田を開発する事ができ、また骨盤を立てる事によりハラに入る様になります。呼吸して確認してみて下さい。

 

丹田を充実させると自然に上体の力が抜け、動きも安定になります。体感的にはまるでホバークラフトに乗ったみたいに、力を使わずスーッと楽に動ける様になり、動き自体も美しくなります。

 

 

精神的には目の前に起きている事を冷静に見られる様になり、自分に起きている事をまるでTVモニターを見ているディレクターの様に客観視する事ができる様になります。

 

また、この状態で目を瞑って静かに座っていると、自然にエネルギーハラに充填されていきます(後述する頭部への意識と合わせると効果は倍増します)。車で例えれば、いつでもどこでも無料のガソリンスタンドが現れる様なもので、丹田を開発すると地球自体がガソリンスタンドになります(例えが下手)。「武士は喰わねど高楊枝」が出来たのはこの丹田エネルギーのお陰かも知れません。 

1.4 背骨を立てていく

どんな分野でも、「名人」と言われる人の多くに共通した身体的特徴があります。それは「背筋が伸びている」という事です。

 

映画やドラマなどを思い浮かべて下さい。上に立つ立場の人ほど、背筋を伸ばして演技しています。逆に下っ端の人は「猫背、ガニ股」等で「下っ端感」を演出しています。

 また時代劇では、剣術の達人は背筋がスッと伸びて上体が脱力し、肩の力は抜けてやや撫で肩で描写される事が多く、我々も「剣の達人」と聞けば「背筋が真っ直ぐなまま、必要最小限の動きで次々と敵を斬っていく」というイメージを持つ人が多いと思います。

 

これは人間が本能的に「背筋が伸びている方が精神的・肉体的にレベルが上である」という事を分かっているからです。例えば初対面の人に会う時、背筋を真っ直ぐ伸ばし、肩の力を抜いて、ゆっくりと歩いて近づいてみて下さい。相手はあなたを軽く扱えなくなります。相手には、あなたは「隙がなく、どんな状況にも即座に対応できる人」と写っています。下手な事は出来ません。

 

また逆に、背筋を伸ばせば自動的に精神・肉体に良い働きをもたらします。古の侍達はこの事を良く分かっていて、足元から頭頂までを貫く真っ直ぐな線をイメージしてそれを「正中線」と呼び、この「正中線」をいかに自分の身体に作り上げるかに一生を掛けました。また古代エジプト人もこの背筋の秘密を知っていました。「垂直な背もたれの椅子」に腰掛けて背筋を真っ直ぐに伸ばした王達の壁画が良く見られます。彼らは「背筋を真っ直ぐにすれば高い精神性が得られる」という事を知っていたのです。

現代運動学の革命児である高岡英夫氏も、この真っ直ぐな身体意識を「センター」と呼び、数ある身体意識の中でも最上位に置いています。

 

高岡氏は、センターを意識することによる効果として以下を挙げています。

 

・日常生活においては、力を使わず効率的、かつ美しく動ける様になり、疲れにくくなる。

・スポーツにおいては、競技能力が格段に向上する

・芸術表現においては、パフォーマンスの質が向上し、美しく細やかな表現が出来る様になる

・勉学においては、脱力により重力感知能力が高まり、それによって脳が活性化し知性が発達する

・社会性には、視点が高くなり物事全体を見て判断できる様になるので、リーダーの素質を持つ様になる

・精神的には、いつもリラックスしていながら周囲の状況に良く気づく状態になり、何が起きても柔軟に的確な対応が出来る様になる

・経済的には、体の調子が抜群に良くなる事により医療費や健康維持費の節約になる。マスターするのにお金もかからない

 

背筋を伸ばす」、これだけで人生そのものが変わります。しかも簡単に、気持ちよく、楽に、タダで

伸ばさない手はありません。

 

さてそれでは実際に背筋を伸ばしていきましょう。ずっと猫背だった人は「背筋の伸ばし方」が分からない方も多く、無理に力を入れてまっすぐにしようとしてしまいますが、これは全く逆効果です。

 

 

1.4.1 背骨と上体をリラックスさせる

腰を決めたら、そのまま上体の力を抜いていきます。

 

背骨を中心に、腰回り〜胸〜首〜頭と左右数cmクルクル回転させながら力をどんどん抜いてリラックスしていきます。クルクルしながら背骨の存在を意識しましょう。たまにコキコキ言ったり背骨の関節がほぐれて気持ち良くなってくれば良。そのまま「気持ちいい〜」と感じながらリラックスしていきます。

 

手首足首をクルクルさせてリラックスするのは良くやりますが、背骨をクルクルさせてリラックスさせるとその何十倍もの気持ち良さがあります。背骨は身体全体の芯だからです。人の体にアプローチする際には、背骨に対する働きかけ最も深いものになります。背骨には脊髄という神経の中枢部分があり、人体のツボも背骨付近に集中して存在します。人体の弱点も集中しているため、空手の達人は正中線(背骨に沿った体の中心線)しか狙わないと言います。

 

背骨をクルクルさせる途中で、両肩を上にぎゅーっと上げて一気にドスンと落とす動きも入れてみましょう。これはゆる体操の中の「ギュードサ体操」と言われるもので、肩の力が一気に抜けて気持ち良くなると共に垂直な重力線も意識しやすくなります。コツは肩を高ーく上げて「ドサ」の時に一気に全部の力を抜くことです。椅子や床が揺れる位になれば良。肩こりもスッキリしますよ。

 

 

 

1.4.2 背骨を立てる

リラックス出来ましたか?瞑想がどうも苦手という方はこのリラックスだけで終わっても十分体に良い効果があると思います。でもこれから説明する「背骨を立てる」ということをやってみると、その効果がさらに倍増して気持ち良くなりますので試してみて下さい。

 

さて、普通の考えだと、リラックスして体がふにゃふにゃになったら背筋は立てられませんよね。でも実はふにゃふにゃになっているからこそ、本当の背筋が立てられる様になります。どういう事かというと、力を入れれば背筋が多少曲がっていても姿勢の維持は出来ますが、ふにゃふにゃだと本当にシビアに重心位置を調整しなければ姿勢が維持できず倒れてしまうからです。赤ちゃんが初めて立った場面を想像してみて下さい。ふらふらしながら、本当にシビアにバランスが取れた時に初めて立つ事が出来ます。

 

瞑想は微細な世界です。日常生活において通常は意識されないとても微かな事が重要になってきます。物に例えて言えば、日常生活では10cmずれても問題にならない場面でも、瞑想の世界では1mmのずれでも大違いとなります。それをまず体で感じてみて下さい。今まで意識しなかった1cmの中に、とても豊かでバラエティに富んだ世界が広がっていますよ。

 

具体的なやり方を説明します。

 

1.4.2.1 上体の力を抜けるだけ抜いて、背骨だけを意識します。

1.4.2.2 上体をゆっくり左右に数cm揺らします。

1.4.2.3 揺れ幅を徐々に小さくしていき、自然に止めます。

1.4.2.4 そのまま体内感覚に集中し、姿勢を維持する必要最小限以外の力を抜いていきます

 

これで左右に関しては真っすぐになりました。次は前後で同じ事をしていきます。

 

1.4.2.5 上体をゆっくり前後に数cm揺らします。

1.4.2.6 揺れ幅を徐々に小さくしていき、自然に止めます

1.4.2.7 そのまま体内感覚に集中し、姿勢を維持する必要最小限以外の力を抜いていきます

 

河原で「石積み」をした事がありますか? 平べったい石を探して来て、「どれだけ高く積めるか」を競争した事がある人なら、背骨の一つ一つがその「積み石」とイメージしてみて下さい。上に行けば行くほど、余程シビアにバランスを取らないと崩れてしまいます。積み石がちょっとグラグラしたり、傾いていたりしたらそれを細かく、1mm単位で調整してみて下さい。力を抜く事を忘れずに。続けているとだんだん敏感になってきて、ちょっとでも傾いているとすぐ不快になって修正する様になります。

 

さて、これで左右・前後とも真っすぐになりました。どうですか?尾骶骨から頭頂まで、体の中心に1本の線が通り、耳や肩や脇腹が「背骨にぶら下がっている」様な感覚になれば成功です。体の中心に正中線が「スーッと」通って背骨全体がエネルギーで充実すると共に重心が「どーん!」と沈んでハラが充実し、頭や胸が「ふわふわ〜」と軽ーくなり、とても気持ちが良い状態だと思います。

 

 

チェックの仕方は、「スーッ・どーん!・ふわふわ〜」です。

 

 

1.5 呼吸とリラックスとバランス調整

「スーッ・どーん!・ふわふわ〜」をキープしたまま、ハラに息を入れゆっくりと吐きながらもっと力を抜いていきます。

力を抜けば抜くほど、背骨の位置調整細かくシビアに行わなければなりません。でないと背筋が曲がったり倒れたりしてしまいます。体内感覚を研ぎ澄まして微調整を続けます。

 

手のひらの上に棒を置いて、倒さない様にする遊びをした事がありますか? そのイメージで背骨を立ててみて下さい。

棒が背骨、骨盤が手のひらです。脱力状態にある背骨を、骨盤の角度の微調整で真っ直ぐに保ちます。骨盤を立てるのを忘れずに。

 

今、あなたは微かな傾きも見逃さない様に内側の感覚に集中しています。

あなたは「ただ背筋を真っ直ぐにしているだけ」と考えているかも知れませんが、実は大変重要な事を行っています。こうして内面感覚に繊細に集中する事により、あなたは「進化した人間」に生まれ変わろうとしているのです。

 

どういう事かと言うと、こうやって「内部感覚」が繊細になればなるほど、無意識のうちにその内部感覚を大量に認識する様になっていきます。普通の人間の「内部感覚検知量」が1とすると、繊細な人間の「内部感覚検知量」は10にも100にもなっていきます。

この大量の内部感覚の認知は無意識のうちに行われますので、本人の努力必要ありませんし、疲れる事もありません。しかし脳は大量の情報を認知し続けるので情報処理能力が自然に発達していきます。

 

さらにその「内部感覚」はあらゆる事象を「即座に、直接に、正確に」認識する事ができます。その結果は脳からハートへと送られ、「快・不快」の信号として本人の意識に上ります。これが「直感」と呼ばれるものの正体です。

 

直感が発達してくると、色々な問題を考える事なく、「即座に、直接に、正確に判断する事ができる様になります。あなたはただリラックスして繊細な状態にいるだけで、ハートが下す様々な判断をただ聞いて、「快」に従えばいいだけです。この状態を「カーナビの付いた車」に例える人もいます。人生がとても楽しく、楽ちんになります。

 

また直感の発達した人には、普通の人とは全く逆の事が起こります。

普通は、色々な情報を元に「考えてから」、全体像を把握したり結論を下したります。

直感の発達した人は、フラッシュの様に全体像や結論が先に見えており、後から必要に応じてその理由を分析したり考えたりします。全体像や結論を見る障害になるので、必要な時以外は基本的に思考はしません。思考が必要になるのは、自分の認識を他の人に伝達したり、記録として残す必要がある場合です。その場合の思考は主に「自分の認識しているものを伝達媒体に変換する」という作業になります。その伝達媒体の代表が言葉ですが、言葉で表せないものは絵画音楽を使って表現される事もあります。

 

如何でしょうか? 「背筋を真っ直ぐにする」という事で、これだけの事が可能になってきます。

同じ様に内部感覚を磨く方法として、「腕をゆっくり曲げ伸ばしする」とか「手首から先を脱力してぶらぶらさせる」などの方法もありますが、この「背筋を真っ直ぐにする」方法が一番大きな効果があります。人間の背骨は重要な神経の殆どが集中しているので、そこへの働きかけは他の部分への働きかけに比べて格段に影響が大きいのです。

 

1.6 ただ座る(手放し)

 

姿勢が安定してきたら、背筋の事は一旦忘れて、「ただ座り」ます。

 

「『ただ座る』ってどうやるの?」

 

ただ座るだけです・・・と言っても全然分かりませんよね(笑)。

禅では「ただ座る」ことを「只管打坐(しかんたざ)」といい、この状態が真実であるとされています。

 

さて、「ただ座る」為にはどうしたら良いのでしょうか?

それは、「『座る』以外のことをやめる」ことです。もうすでに座っていますから、これを言い換えると「全てのことをやめる」ということです。

 

「もっと呼吸に集中しよう」とか、「背骨が傾いてきたので調整しよう」とか、「これが終わったら食事に行こう」という思考が浮かんだら、それをすぐやめます。「呼吸に集中はしない」「背骨の調整はしない」「食事のことは忘れる」と、やろうとしていた事を全てやめます。それをひたすら繰り返していくと、ある時突然「静かな空間」にいる自分に気づきます。それは始めてすぐかも知れませんし、1ヶ月後かも知れません。

 

その「静かな空間」と「あなた」は、「ハラ」を通して繋がっている事が感じられます。あなたは存在の芯からの、深い休息の中にいます。子宮の中の様に感じられるかも知れません。

 

ここが、あなたの本当の故郷です。

 

 しばらく静寂を楽しんでみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここから先は、限られたごく一部の人向けです。やってみて恐怖が湧いたり気が遠くなってきたりしたらすぐ中止して下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたは今、深い静寂の中にありますが、まだ「やめる」事ができます。

 

静寂を楽しむこと」も「やめます」。

存在すること」も「やめます」。

 

これは感覚的なものですので直感でやめてみて下さい。方法はありません

 

こうなるともう、体験を確認しようにも体験者すらそこにはいません

 

これが、「只管打坐」です。

 

普通はここまで来なくても、「静寂を楽しむ」だけで十分です。

2. 頭の中のある部分に意識を向ける

さて、次は脳の「松果体」と言われる部分に意識を向けていきますが、その目的は「思考を無くす(あるいは最小限にする)」事です。

 

しかしその前に、皆さんは自分が「いつも何かを考えている」事をご存知でしょうか?

「いや、何も考えないでボーッとしてるよ。」と言われるかも知れません。

でも、自分では「ボーッとしていた」つもりでも、頭の中では常に思考が生まれ続けている事がほとんどです。それを記憶していない場合が多いのです。試しに、今から10秒間何も考えないでいてみて下さい。

 

・・・・・・・ハイ、どうぞ!

 

 

・・・・・・・出来ましたか?

 

「いち、にい、さん・・・」と思っていたとしたら、それは「考えている」という事です。もし、本当に10秒間意識を保ったまま何も考えない事ができれば、あなたは10秒前とは別人になっているでしょう。心の底からの深い安心感静寂に包まれているはずです。

そうでなければ、あなたは必ず何かを考えています。それは言葉にならないかも知れません。はっきり意識できないかも知れません。それを「微細な思考」といい、ほぼ全ての人間が起きている間中行っています。1秒の休みもなく

 

実は、この「絶え間ない思考」が人間のエネルギーの多くを奪い神経疲れさせやる気をなくさせ、恐怖不安を呼び起こしています。何せ脳は人間の使うエネルギー全体の20%を消費する最大の臓器です。

 

試しに、脳があなたから大量のエネルギーをどう奪っているかを見てみましょう。ある実験をしてみます。

これから1分間、あなたの頭の中に浮かんだ事を全て紙に書き出してみてください。どんな小さな言葉でも、認識できたもの全てをです。紙と筆記具を用意して・・・

 

・・・・・ハイ、スタート!

 

・・・・・・・書けましたか? 何が書いてありますか?

 

おそらく殆どの人は、「これはどこの狂人が書いたんだ?」という様な文になっていると思います。しかしそれが「あなた」なのです。

整然とした筋道立った思考は、我々の思考のほんの数%、おそらく0.1%位と考えて良いと思います。殆どの思考は意味のない繰り返しやある事象からの決まった連想です。我々はある物や人を見ると自動的に決まった思考を始めますが、自分ではそれに気がついていない事が殆どです。

 

この絶え間ない思考が、我々の人生の多くを奪い駄目にしています。しかし我々はその思考を「自分自身」と思っているので、どんなに被害にあっても自分の思考を手放しません。これが今の地球の人類平均的なレベルとも言えます。

 

しかし、この「思考ループ」から抜け出す方法があります。それが瞑想です。

実際に抜け出すとどうなるかを見てみます。

 

・肉体的には、思考に使われていたエネルギーが肉体の健康の為に使われる様になり、体の調子が良くなる

 

覚醒した、悟っている」と言われている人は大抵肌が綺麗で、内側から輝きが出ています。

体内のエネルギーには自然で効率的な流れがあり、殆どの人はその流れを思考によって妨害し、自然な健康から遠ざかっています。悩みのある人の肌は荒れている事が多いのはその為です。

 

・精神的には、思考エネルギーを殆ど使わないで的確な判断・行動が出来る様になり、生きるのがとても楽になる。

 

我々が判断を誤るのは、それについて考えすぎる事が原因の場合が多いのです。

思考は全て過去の情報です。今現在起こっている事は新しい出来事で、過去が通用するとは限りません。人間には思考以外に判断を下す器官があり(上記1.5参照)、そこの声を聞けば的確な答え既に用意されています。思考があると逆にこの声が聞こえず判断を誤るのです。

 

また、無思考状態で意識を保てる様になると、常に自分の周りを静寂が取り囲む様になります。雑踏の中を歩いていても、高原の道を歩いている様な静寂が取り巻いていて、とても深い落ち着きと共にあります。

その静寂ははっきりと周囲に伝わり、その人が居るだけで周りの人々まで静寂の中に入ってしまいます。

 

古代中国の覚者の「老子」は、弟子たちに何も話さず、何も教えなかったと言われています。彼は自分の名前すら話さなかったので、人々は彼の事をただ「おじいさん(老子)」と呼びました。

彼のやっていた事は、ただ自分の中の静寂を分け与えることだけでした。

 

さて、その素晴らしい「無思考」の世界へご案内します。コツさえ掴めば簡単です。

 

2.1 頭の中の一点に意識を向ける

人間の脳には「松果体」と呼ばれる、眼球と似たガラス質の器官があります。ここからは「メラトニン」という「リラックスホルモン」が分泌され、このホルモンによって人は睡眠へと誘われる仕組みになっています。「メラトニン」は別名「まいっかホルモン」とも呼ばれ(by楽樹店長)心が大きくなり大抵の事は気にしなくなります。

 

そして瞑想においては、ここに意識を集める事で思考が減っていきます。コツを掴むまでしばらくかかるかも知れませんが、コツさえ掴んでしまえばいつでも静寂の高原に行く事ができます。丹田は「どこでもガソスタ」でしたが、松果体は「どこでも別荘」です。エネルギー源と最高の休憩所という、人生で一番欲しかったものが、瞑想によって無料で手に入るのです。

 

やってみたいですか? 上記の「ただ座る」だけでも大きな効果がありますよ。無理にやらなくても十分です。

 

 

 

 

この後を読むと、あなたのアイデンティティが深刻な危機に陥る恐れがあります。

もう陥ってる?(笑)

 

また、これから紹介する瞑想は非常にデリケートな集中を必要とし、注意事項を守らず間違ったやり方で瞑想を続けてしまうと、脳に深刻な悪影響を及ぼす恐れがあります。

 

自己責任で、やりたい人だけ、次にお進み下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・では、やってみましょうか。

 

 

松果体の大体の位置は、目の高さで頭の中心からやや後頭部寄りにあります。目を閉じて、視線を頭の内側にひっくり返すイメージで松果体のある部分を「見て」みましょう。「見る」イメージの湧きにくい人は、その部分が「どんな感じがするか」と感じてみるのも良いでしょう。暖かいのか、冷たいのか、脳の他の部分と何が違うのか、など。

 

松果体に意識が集中できた証拠としては、

 

呼吸がゆっくり、深くなる

思考が減って頭が静かになる

③頭が静かになった分、外部の音が良く聞こえる様になる

④松果体から下の方へルギーが落ちていく感覚がある

 

等の「いいかんじ・・・」があります。いずれもとても気持ちの良い感覚です。

 

逆に、頭が痛くなったり、額に熱を感じたり等の「やなかんじっ」がしたら、別の場所に意識を集中している可能性がありますので、すぐに止めてやり直してみて下さい。それが続く様でしたら、松果体への集中は一旦止めて、「1. 背筋を真っすぐにする」事に集中して下さい。

 

くれぐれも、頭部に不快感があるまま瞑想を続けないで下さい。脳に深刻なダメージを負う可能性があります。

 

大事なのは、松果体への集中と、丹田の開発を同時進行で行う事です。そして優先するのは丹田です。これがないと、頭だけ開発されてそれを支える基盤がなくなり不安定な状態になってしまいます。「根っこのない花」みたいなもので、危険な状態です。

丹田でしっかり基礎を作りましょう。それだけでも十二分に楽に生きられる様になります

 

 

集中が上手くいけば、必ず上記①〜④の感覚があります。なければ集中の方法を変えてやり直し、それでも①〜④の感覚がなかったら「ただ座る」事のみを続けます。

①〜④の感覚があれば、「いいかんじ・・・」をキープしたまま、ただ座りましょう。

 

体の声を良く聞いて、「前頭部が熱くなってきた」「みぞおちが苦しい」「イライラしてしょうがない」という不快感が出たら、そこへ意識をもっていってその部分の「力を抜く」感覚で自然で微かな「流れ」に逆らわない様にしてみます。不快感というのは自分の思考で自然なエネルギーの流れを阻害している時に多く発生します。それは心からの「警告」なのです。力を抜いていくと、不快感は自然に消えていき、同じエネルギーが変容して快適感に変わったりします。

 

快・不快の信号は胸の中心部、ハートと呼ばれる場所で判断します。丹田が安定し、思考も少なくなってきたら、丹田も松果体も忘れてハートで全てを判断して瞑想してみましょう。「意識をどこに持っていけば気持ちいいか?」で瞑想をコントロールします。

 

これが「本当の瞑想」です。

 

本当の瞑想とは、「自分の本体で生きること」であり、その本体とはハートと呼ばれる部分です。丹田や松果体はこの「本当の瞑想」の為の準備です。 

 

現場の都合やる気の具合で、適当な時間が来たらゆっくりと目を開けます

その時、あなたは自分の目の前を「ただ見て」います。思考によるラベル付けはありません。パソコンや机や同僚や窓や景色がありますが、あなたはそれに「パソコンだ」「机だ」「田中さんだ」と名前を付ける事なく、ただ見ています。

 

それが、「真実の世界」です。

 

しばらく、目の前を「ただ見て」いましょう。段々と思考が戻って来ます。

「パソコン」「机」「田中さん」、目の前の現象に名前が付いて来ました。そして、「このパソコンもそろそろ買い換えないと」とか、「田中さん今日はイラついてるな」とかの思考が再び始まります。

 

これが、「架空の世界」です。

 

お気づきでしょうか?この思考という「架空の世界」は、「名前」から始まります。

試しに一切の「名詞」を使わないで思考してみて下さい。10秒で良いでしょう。

 

 

・・・ハイ、ドーゾ。 

 

・・・・・如何ですか? 何か考えられました? 考えられた人はスゴイです。何を考えたか私にメール下さい。

 

多くの人は、10秒間何も考えられなかったのではないでしょうか? はっきりと思考する前に、まず「微細な思考」が先行し、「おい、お前が今から考えようとしているものは名詞だぞ!」と警告するからです。この、「名詞を使わないで思考してみる」という事を瞑想として使うことも出来ます。取り組んでいる間、微細な思考はあるものの明確な思考はなくなりますので、結果的に脳が静寂になっていきます。禅の公案より役に立つかもしれませんね。

 

物事は「ただあり」、それに「意味」や「意義」はなく、各人一人一人の都合によってそれぞれ意味づけや意義づけがされていきます。思考世界というのは、その人の中だけに存在する個別個別の「架空の世界」なのです。

 

2021年現在、この地球には78億3700万人の人が存在しています。「世界は一つ」と良く言いますが多くの人にとってそれは間違いで、この地球上には「78億3700万の、一つ一つが完全に違った世界」があるのです。

ある人にとってこの世界は「醜く、危険な世界」であり、同じ世界がある人にとっては「愛にあふれた、素晴らしい世界」です。この二人が出会っても、「今日はいい天気だね」とか、「今朝のニュース見た?」くらいのコミュニケーションしか出来ません。

思考世界は、生まれてから今までの無数の外的要因と生まれ持った内的要因が複雑に絡み付いて出来上がったものなので、自分と同じ思考世界を持つ人間はこの世界のどこにもいません。なので、お互いの「思考世界」が一致する事はありません。思考世界にいる限り、お互いの本当の理解は不可能なのです。自分の思考世界に住む限り、全ての人間孤独の中にいます。それは良い・悪いの問題ではなく、思考世界の持つ特性の一つです。

 

我々はその人の思考世界の事を「人格 personality」と呼びます。この語を考えた人はすごいですね。「persona」とは仮面の事です。「人格」は「仮面」であり、時と場所によってコロコロと取り替えて使うものです。会社ではこの仮面、家庭ではこの仮面、正確に言えば「Aさん」の前では「仮面A」もっと正確に言えば「Aさんが嬉しいとき」に使う「仮面A−喜」、怒っているときに使う「仮面A−怒」、この様に、私たちは1日のうちに無数の仮面を使い分けています。

身近な例で考えてみましょう。知人のAさんに、Bさんをどう思うか訊ねてみます。「Bさん? いい人だよ。私の話を良く聞いてくれるし、考え方も似ているんだ」今度はBさんにAさんの事を訊ねてみます。『A? ああ、あいつな。一応同じ仕事しているから話はするけど、正直あいつの相手は疲れるよ。」Bさんは、Aさんの前では「理解者・賛同者の仮面」を被っていますが、Aさんはそれに気づいていません。こんな例は身の回りにいくらでもあるのではないでしょうか?

 

 試しに今から寝るまで、「自分がどんな仮面を使っているか」を意識して数えて見て下さい。その数に愕然とするでしょう。誰もが無数の仮面を使い分けていますが、それを全く気づいていません。仮面を「自分」と勘違いしています。なぜならば、誰も自分の「本当の顔」を知らないからです。

 

瞑想とは、自分の「本当の顔」を知る事です。ではそれを「本来の面目」とも言います。

 本当の自分とは何でしょうか? それは、思考ではない場所にあります。 

 

真実の世界」は思考を介さない直接認識なので、二人の「目が覚めた」人間の見解は、究極的には必ず一致します。本当のコミュニケーショ理解というものは、二人の「目が覚めた」人間の間にしか存在しません。


ロシアの覚醒者のグルジェフは、「目が覚めた」人間の持つ見解を「客観的な見解」と呼び、一般の人間の持つ見解を「主観的な見解」と呼びました。

「客観的」なものは人間の「本質」からの認識であり、人間が目覚めた時は全て同じ見解になります。何故なら人間の「本質」は誰でも同じだからです。

その誰でも同じ人間の「本質」の事を禅では「本来の面目」と呼び、インド哲学では「アートマン」と呼び、神道においては「神の分霊(わけみたま)」と呼び、世界一般では「神」と呼んでいます。


これに対して一般の人間の持つ「主観的」な見解は、その人間特有の「思考世界」での個別の認識で、大抵は自他を害する働きしか持たない、価値の無いものとしています。

ではなぜ「主観的」な見解は自他を害するのでしょうか? それは、「思考世界」を作っているのは人間の「エゴ」であり、この「エゴ」は自己防衛機能を持つからです。


エゴのメカニズムは、「自分自身の価値を自分以外のものとの関係性によって判断する」という事です。「自分はあの人より優れている」のであれば自分には「価値」があり、劣っていれば「価値」が無い事になります。

しかし、あらゆる面で優れている人間など存在しませんので、エゴは常に存続の危機の状態にあります。「あの人は私より優れているから、私には価値が無い」という状態にエゴは耐えられません。その時にエゴが取る手段は「攻撃」です。「あの人は優れているように見えるが、別の面から見れば私より遥かに劣っている」などと考え、その人を自分の思考世界の中で攻撃します。その攻撃の思考は結果的に自分を傷付ける波動となります。

また、その攻撃性が自分に向かうと、それは自己否定や自己憐憫となり、やはり自分を傷付けます。


これに対して「客観的」な見解のメカニズムは、「自分自信の価値を自分の『本質』を見る事によって判断する」という事であり、自他の比較の概念は存在しません。


例を挙げてみましょう。

あなたが良く知る、あまり好きでないある人について、あなたの意見を思い浮かべて下さい。まずあなたの中に不快感が起こり、否定的な見解でその人を攻撃し始めると思います。それが「主観的」な見解です。

その同じ人について、「目の覚めた」人に意見を聞いてみましょう。その人はこう言うでしょう。

「全ての人間の本質は愛であり、その人も例外ではない。あなたの嫌いなその人の特質は、あなたのエゴがそう見せているだけだ。あなたが嫌っているものは、あなた自身が見たくない自分自信なのだ。」

これが「客観的」な見解です。詳しく研究してみれば、キリスト、ブッダ、臨済、ラマナ・マハリシ等世界中の「目が覚めた」人間は、アプローチは違いますが皆同じ事を言っているのが分かるでしょう。


 目覚める前は、お互いの思考世界の中のほんの一部の共通部分だけ弱い絆でかろうじて繋がっているだけです。その思考世界もお互いに毎分毎秒変わるので、10秒前までは理解し合っていたけど10秒経過した今は絶交している、ということが普通に起こっています。

 

これが「地獄」です。

 

地獄とは「死んだら行く場所」ではなく、今私たちが生きているこの世界の事なのです。 思考世界に住む限り、それは地獄にいる事と同義です。根っこがなく、常に変わり続け握手しながら足を踏みつけ合い、害されることに怯えながら害する事を楽しむ。確信するものが無いので常に何らかの「価値観」を守り続け、それが破壊されると自分も壊れてしまう。

これが地獄でなくて何でしょう?

 

途方もなく長く生きて、この世界がとことん嫌になれば、自然に地獄から抜け出すこともあるでしょう。でも普通は「自分が地獄に住んでいた」事に気づくのは、死の直前です。「死」はある意味一番の瞑想です。

 

スティーブ・ジョブズ最後のメッセージをご存知でしょうか?

− スティーブ・ジョブズの最後の言葉−

 

私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。

他の人の目には、私の人生は、

成功の典型的な縮図に見えるだろう。

 

しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。

人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた

人生の単なる事実でしかない。

 

病気でベッドに寝ていると、

人生が走馬灯のように思い出される。 

私がずっとプライドを持っていたこと、

認証(認められること)や富は、

迫る死を目の前にして

色あせていき、何も意味をなさなくなっている

  

この暗闇の中で、生命維持装置の

グリーンのライトが点滅するのを見つめ、

機械的な音が耳に聞こえてくる。

神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。。。。

  

今やっと理解したことがある。

人生において十分にやっていけるだけの

富を積み上げた後は、富とは関係のない

他のことを追い求めた方が良い

 

もっと大切な何か他のこと。

それは、人間関係や、芸術や、

または若い頃からのかもしれない。

 

終わりを知らない富の追求は、

人を歪ませてしまう私のようにね。

   

神は、誰もの心の中に、

によってもたらされた幻想ではなく、

を感じさせるための「感覚」

というものを与えてくださった。

 

私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)

一緒に持っていけるものではない。

私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。    

これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと

一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの

あなたの道を照らしてくれるものだ。    

愛とは、何千マイルも超えて旅をする。

人生には限界はない。

  

行きたいところに行きなさい。

望むところまで高峰を登りなさい。

全てはあなたの心の中にある、

全てはあなたの手の中にあるのだから

 

世の中で、一番犠牲を払うことになる

「ベッド」は、何か知っているかい? 

シックベッド(病床)だよ。

 

あなたのために、ドライバーを誰か雇うこともできる。

お金を作ってもらうことも出来る。

だけれど、あなたの代わりに病気になってくれる人は

見つけることは出来ない

 

物質的な物はなくなっても、また見つけられる。

しかし、一つだけ、なくなってしまっては、

再度見つけられない物がある。

   

人生だよ。だよ。

 

手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えてない

本が1冊あったことに気付くんだ。

   

健康な生活を送る本」

 

あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、

誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる

     

あなたの家族のために愛情を大切にしてください

あなたのパートーナーのために、

あなたの友人のために。

  

そして自分を丁寧に扱ってあげてください

他の人を大切にしてください

 

−スティーブ・ジョブズ最後の言葉  STEVE JOBS Last Words

 

ジョブズは、死の直前になって初めて、自分が「地獄」に住んでいた事に気づきました。そして、「本当の自分」はただ愛を欲している事に気づきました。彼が親友のティム・クックに最後にこんな言葉を送っています。

 

『 You should never ask yourself What Steve Jobs would do?

スティーブなら何をしただろう?と考えてはいけない)』

 

 

−ウォール・ストリート・ジャーナル

 

 

我々の殆どは、生きている間に「本気」で考える事はありません。なぜなら、潜在的に次の事を知っているからです。

 

今の私の生き方は、くだらない。

 

本気」で考えてしまうと、殆どの人がこの結論に達します。なので、生の、全力を上げて「本気」で考えない様に生活します。「本気で考える」代わりに、今の社会で「良し」とされている価値観を借りてそれを守ります。廻りの人々も皆それを守っているので「かりそめの安心感」を得られるからです。

 

しかし、全ての人間は最後に容赦無く「本気」で考える事を迫られる時が来ます。それが「死の床」です。

ジョブズも、死の床について初めて「本気」で考え始めました。そして、「自分が本当にやりたかったこと」に気づきますが、その時にはもうそれを実行する力は残っていませんでした。

彼の人生は、「お金を稼ぐ事良いことである」「有名になるのが良いことである」「尊敬されるのが良いことである」という、「今の社会で良しとされている価値観」に基づいたものでした。そして社会もこぞって彼を支持しました。

 

しかし彼は人生の最後に自分の過ちに気づきました。

彼の最後の仕事は、自分の過ちを素直に認め、教訓として世界に発信する事でした。「世界一の成功者」が「自分の人生に意味はなかった」と言っているのです。これ以上の教訓があるでしょうか?

これがジョブズの最大の仕事です。彼は自分の人生そのものを使って世界に教訓を示しました。

 

世界一の成功者」は一体何に「失敗」したのでしょう? 

・・・それは、「成功まで上り詰めてしまったこと」です。

 

成功ほどの失敗はありません。なぜなら「自分の求めているものには価値がなかった」ということに気づかないからです。

成功者は自分の得た地位尊敬夢中になってしまい目が見えなくなります

もし彼が努力の途中で失敗していたら、絶望の中で「今まで自分が求めていたものは何だったのだろう?」と考える可能性が出てきます。野心家が失敗して宗教者になるのは良くある事です。

 

成功ほどの失敗はありません。なぜなら「自分の求めているものには価値がなかった」ということに逆に気づいてしまうからです。

知性の発達した、誠実な人ならば、成功してお金地位尊敬を得ても、自分の中の「根源的不安」は何も解消されていない事に気づきます。しかし気づいた時には彼は人生の膨大な時間と努力を成功に注ぎ込んでしまっています。もう残された時間や力はありません

 

実際の調査でも、死の床において殆どの人が人生を後悔しています。

ある看護師が末期患者と接するなかで、彼らが口にした後悔の言葉を集めました。どれも全て、人生で初めて「本気」で考えた言葉です。

1. もっと自分らしく生きればよかった

2. あんなにガムシャラに働かなくてもよかった

3. 言いたいことははっきりと言えばよかった

4. もっと友達と連絡をとればよかった

5. もっと自分の幸せを追求すればよかった

 

−The Top Five Regrets of The Dying 「死ぬ瞬間の5つの後悔

 

死の間際になって、人は生まれて初めて「本気」で考えます。しかし、その時にはもう残された時間とエネルギーはありません。

「だったら、元気に生きているうちに本気で考えればいいんじゃないか?!」と思うかもしれません。

しかし、それができるのはごく一部勇敢な人だけです。なぜなら、皆本能的に

 

今の私の生き方は、くだらない。

 

 と知っており、しかしそれを認めたくないからです。

 

現代社会とは「本来の自分の望み」の探求をさせないようにデザインされており、現代社会において生きるには「本気」で考えてはいけない事になっています。「本気」で考える人がそばにいたら、「うざい」でしょ? なぜ「うざい」かというと、その人はあなたの「隠れた傷口」を刺激するからです。

 

現代社会に生きる人は、皆この「隠れた傷口」を持っています。その「傷口」は隠れていますが、そこから発生した様々なマイナスエネルギーは、「現代社会の歪み」「現代人の歪み」を作っています。

多くの人にとってこの世界は「地獄」なのです。しかし、多くの場合それに気付くのは、スティーブ・ジョブズの様に死の直前です。

 

瞑想とは、「生きているうちに、死の練習をすること」です。「死の練習」をすることで、生きているうちに「自分は地獄に住んでいる」という事に気づく事ができます。そうすると、この世界から抜け出すことに関心が向いてきます。

瞑想をしなければ自分が地獄に住んでいる事に気づきもしません。なので、「今、自分は幸せだ」と「思考している」人には瞑想をお勧めしません。その「幸せ幻想」は瞑想によって打ち砕かれてしまいます。「やらなきゃよかった!」となるかもしれません。

 

しかし、根本からの安心(禅ではそれを「大安心」と言います)を求めるのであれば、瞑想は一番の近道でしょう。それはある意味「人生のショートカット」なのです。普通は何十年、何百年と生きて初めて「地獄」に気がつきますから。

 

 

 

 

重いよ! ただの瞑想だろ?」 ハイ、スミマセン。

 

社会において、真実は常に嫌われます。社会というものは「幻想維持システム」だからです。集団でその時代と社会の「共通幻想」を守っています。

 

例えば、2021年の日本で、「社長の為なら死をも厭わない。ひたすら自分を殺してお支えするのが人として正しい道である」と言う人がいたら、「キモイ」「アタマおかしいんじゃない?」と言われますよね。しかし、封建時代はこの様な人が重視され、尊敬されていたのです。封建時代の日本社会は、「滅私奉公」という「共通幻想」を意地するシステムだったわけですね。

 

では「2021年の日本の共通幻想」は何でしょうか? 一番分かり易いのが「新型コロナウィルスパンデミック幻想」ですかね。10年後には、今大騒ぎしている人達は恥をかく事になるでしょう。しかし今それを言うと無視されるか非難されます。

 

もっと大きな目で見て、「現在の地球人類の共通幻想とは何でしょうか? それは、「個人』というものが実体を持って存在している」という幻想です。実際は個人というものは存在せず全体だけがあります。しかし今は皆「自分という個人」が存在していると信じているので、その「自分という個人」、即ち「スティーブ・ジョブズ」や「堀江貴文」といった「名前と、肉体や服や持ち物や肩書きといった自分の「」の為に、「本当の私」を殺してそれこそ「滅私奉公」しています。一生懸命偉くなろうとしたり、一生懸命認められようとしたり、一生懸命良い服良い立派な家を手に入れようとしたりしています。

これは、「本当の自分」がしたいこと、即ちに向かうことを犠牲にして、「偽物の個人」の「名前」と「形」人生を捧げているのです。封建時代の人間が自分を殺して君主の為に「滅私奉公」しているのと本質的には何も変わりません。単に「君主」が「自分という個人」に替わっただけです。

 

この様に封建時代は「滅私奉公」、現代社会は「個人の存在」と、その時代と地域により様々な「共通幻想」が存在します。それに従うメリットは、「自分の頭で『本気』で考えなくても良い」という事です。その幻想を守りさえすれば、社会が自分を守ってくれます。

 

しかしどの時代や地域においても、社会の「共通幻想」を見破った人が現れます。西洋においてはキリスト、東洋においてはブッダがその代表格ですかね。

「共通幻想が存在する社会(ほぼ世界の全ての社会)では、幻想を維持する人守られ否定する人排斥されます。なので真実を声高に言うと、必ず攻撃されます。キリストはにかけられ、「」を教えたブッダは自分が生まれたインドでは批判され完全に無視されました。

 

その攻撃の源は、「もしこの人が真実ならば、今までの自分の人生に意味がない事になる」という恐怖です。その人は共通幻想に自分の価値を依存しています。借り物の価値観で生きているのです。

しかし、自分の核から出てきた、本物の価値観ならば、他人が肯定しようが否定しようが何も傷つきません相手を攻撃するのは、本当は自分の価値観に自信が無いからなのです。

ここで注意事項をお知らせします。

 

この瞑想を続けて行くと、本物の価値観が生まれてしまう危険性があります。もし今のあなたへの評価あなたの友人偽物だった場合、それを失う可能性がありますのでご注意下さい。それでも宜しければ瞑想をお続け下さい。その代わり、数は少ないですが本物の人間による本物の評価本物の友人が出来てきます。

 

 

だからぁ、重いんだってば!」スミマセン。

 

まあ、ただの健康法としても最高の効果がありますので、軽い気持ち大きな希望を持ちながらやってみて下さい。

 

最初はトータルで10分もやれば十分でしょう。瞑想中は時間の流れ方が変わるので、10分でもずいぶん長く感じる方もいると思います。やる時間帯としては朝起きた時昼休み中、夜寝る前がお勧めです。その後の仕事や睡眠が深く良質なものになり、楽に出来る様になります。

 

瞑想は初め苦い。しかしだんだん甘くなる。

 

「最初は抵抗があるかもしれませんが、とにかく続ける事をお勧めします。続ければ、全てが向上し楽に生きられる様になります。」

↑この一文の判断について、あなたの「思考」を一時的に停止させてみて下さい。1ヶ月ほど。

この一文を、「仮に」真実として、瞑想を続けてみる事をお勧めします。 

 

 その「仮信用」の期間が終わってから、この一文について「本思考」する資格が出てきます。

 その「本思考」の結果を私にお伝え頂ければ幸いです。

 

 

 

ここまで読んで下さってありがとうございます。さらに実践していただけたならもっとありがとうございます。

この瞑想は、上手く使えばあなたの人生を一変させ、一気に運を開くパワーがあります。

本当は私はこれを有料にしたいのですが、今は無料で公開することにしました。なのでいつここを閉じるか分かりませんのでご注意下さい。

 

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