かいた人:若だんな

至くんには、年の離れたともだちがいます。
何だか良く分からないことを話すおじいちゃんなのですが、至くんはそのおじいちゃんがなぜか好きなのです。
近くにいくとまるで大きな木の木陰に入ったみたいに、からだの力がふーと抜けて、ほしくさの上に寝ているみたいな、おおきな湖にぷかぷか浮かんでいるような気持になるのでした。
至くんがおじいちゃんの小屋をみつけたのは、山の中へきのこを採りに行ったときでした。その日はきのこがなかなか見つからなくて、思い切って山の奥まで入って行ってみました。
そこで、粗末な板壁の小さな小屋をみつけたのです。近づいてみると、背の小さい、ぼろの着物を着たじいちゃんが、小屋の前の小さな畑を耕していたのでした。
ふしぎだったのは、目で見ると確かにじいちゃんはそこにいるのですが、人がいる感じが全然なくて、まるでそこに誰もいないみたいでした。じいちゃんも小屋も、まわりの木と同じで昔からの森の一部みたいでした。
至くんは何度も目をこすってそこにじいちゃんがいるのを確かめました。何度こすってもじいちゃんはいましたので、至くんはゆっくりとじいちゃんの後ろから近づいていきました。じいちゃんは何も気づいてないみたいに畑を耕しています。
「こんにちは」至くんはおそるおそる声をかけてみました。
耕す手が止まり、じいちゃんはゆっくりと体を起こしました。少しも驚いた様子はなく、まるでずっと前からここに来ることが分かっていたみたいでした。じいちゃんは鍬から手を離し、ゆっくりと体ごと至くんの方に向き直りました。じいちゃんの顔を見ても、至くんにはやっぱりそこに人がいる気がしませんでした。
(まるで、木みたいな人だな)と、至くんは思いました。
じいちゃんは、1000年前からそこにある木みたいに立っていました。足は根っこが生えたよう、体は巨大な幹のようでしたが、じいちゃんの背丈は至くんよりも小さいのでした。
じいちゃんは深い湖みたいな目で至くんの顔をじっと見ていましたが、やがて何かを納得したような顔になって、皺だらけの顔でにっこりと笑いました。至くんはその顔を見たとたん、からだがふわっと浮き上がって干し草に包まれたみたいな感じがしました。
そのときから、二人は友達になり、至くんの「じいちゃん通い」が始まりました。
至くんが来るとじいちゃんは畑仕事の手を休めてにっこりと微笑みました。その顔はいつ見ても同じで、いつ見ても初めて見るみたいな感じがしました。
柔らかい草の上に座って、二人で静かに森の音を聞いていると、しばらくしてからじいちゃんはゆっくりと話し出すのでした。
その意味は至くんには分かったり分からなかったりしましたが、洞窟の奥から響いて来るようなじいちゃんの声を聞くのはとても気持ちが良く、至くんはいつもじいちゃんに質問をして会話を楽しみました。
「じいちゃんはよく『道、道』って言ってるけど、道って一体何なの?」
「至よ、わしも本当は良く分からん。言い様がないのでとりあえず『道』と言ってるんじゃ。まあ、この世界を動かしてる、目に見えない大元(おおもと)みたいなもんじゃな。神さまみたいな、自然の法則みたいなものじゃ。」
「じゃあ、なんで『道』なんて名付けたのさ。道路みたいでまぎらわしいじゃん。」
「うーん、わしもそう思うんじゃが、どんな名前をつけてもしっくりこなくてな。まあ、一番マシだったのが『道』だったんじゃ。」
「いいかげんだなあ。じゃあ、道って何なのさ?」
「分からん。」
「じいちゃんが名付けたんだろ? 無責任だなあ。」
「うーん、道が何なのか、わしは本当は分かってる。わしの体は道でできているし、この宇宙全体も道でできている。でもそれが何なのかを言葉にはできないんじゃ。」
「じゃあ、なんで『道』なんて名前をつけたの?」
「何でもいいから名前をつけなければいけない出来事があってな。
そのとき、わしは隣の国がもう嫌になって、国境を超えて静かな山にこもって、ゆっくりと命を終えようとしていたんじゃ。そしたら途中の関所で役人に呼び止められてな。『先生、何か私たちに教えを書き残して下さい。でないとここを通す事はできません。』と言うんじゃ。」
「じいちゃん何か人に教えていたのかい?」
「いや。何も教えたことはない。ただ人が勝手にわしの廻りに集まってきて、一緒に暮らしていたんじゃ。」
「ふうん。きっとみんなおじいちゃんのことが心配だったんだね。」
「そうかもしれん。その役人に何か書けと言われたが、わしは昔から『言葉』というものが大嫌いで、わしに何か聞こうと思って来た者たちが大勢いたが、わしは一言も教えたことがない。ただ朝起きて、飯を食い、畑をたがやし、木陰で休み、夜になったら寝るだけじゃ。その者たちはただわしと一緒にいるだけじゃった。もちろん本など書いたこともない。
じゃが、ここで本を書かないと関所が通れなくなってしまう。わしは早いこと山の静けさの中に入りたくてな。仕方なくあの本を書いたんじゃ。
そこで初めて、わしの知っているものがどんな言葉でも言い表せないことに気づいたんじゃ。今は『道』と言っているが、例えばそれを『源(みなもと)』と名付けても良かった。」
「『源』ね。そっちの方が良かったんじゃないの?」
「そうかもな。でも『源』という言葉は、『そこから何かが生まれる場所』という意味合いがある。『道』は源であると同時に源から生まれたものでもあるし、そのどちらも貫く法則でもあるのじゃ。それで、わしは『源』を使うのをやめた。『道』の方は実際の道も表すし、『天の道』みたいに『生き方、考え方』みたいな意味も含んでいるからな。でも、本当は何でも良かったんじゃ。仮に『道』と名付けてしまって、それからその『道』の説明をする方法を選んだ。何せ早く山に入りたかったからな。」
「じいちゃん本なんか書いてたのかい? もしかして偉い人?」
「いや、偉くもなんともない。ただのじじいじゃよ。」
「じいちゃんの書いた本見てみたいなあ。」
「あれは書いてそのまま置いて来たから、本になってるかどうかも分からん。でも、あんな本など何の足しにもならんわ。またいろんな奴らがわしの言葉でうろうろして、勝手に騒ぐだけじゃ。」
「ふうん。じいちゃん結構有名人だったんだね。わざわざこんなとこに住まなくてもよかったんじゃないの?」
「そうかもな。でもわしはここが気に入っとるよ。」
「ぼくもここ好きだな。きのこもいっぱい採れるし。」
「昨日採ったあけびが沢山あるぞ。お母ちゃんにも持っていけ。」
「やったー!ありがとう。」
「日も暮れるからもう帰れ。」
「うん、じゃあ、またね。」
「またな。」
不思議だったのは、やっぱり何度通ってもそこにじいちゃんがそこに「いる」感じはしなくて、まるで大きな木が風でざわざわ鳴っているのを聞いているみたいな気持ちになることでした。
つづく
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