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吉本の壁 da-nnaa

「ベルリンの壁」と聞いて「うん、あれな。」という人と「何か習った気がする・・」という人がいると思うが、日本にも東と西の間に巨大な壁があるのをご存知だろうか?

 

「吉本の壁」である。

 

特に中高年以上の世代にとっては、「越えられない壁」となって東西の間に立ちはだかっている。

西側の人間は言う。

「東になんて行くもんじゃないで。いくらボケても誰もツッコんで来ん! 東の教育委員会は何をやっとるんや!」

東側の人間は言う。

「あいつら突然変なこと言い始めるから困るよなぁ。いきなりボケられても、慣れてないボクらにツッコめる訳ないじゃないか。ボケるのは勝手だけど、ツッコまないからと怒るのは止めて欲しい。」

 

この東西の壁が作られた原因は何だろうか?

それは、1962年(昭和37年)から今まで続いている関西の化け物番組、「よしもと新喜劇」である。・・と断定はできないが、間違いではない事は関西の方なら分かって頂けると思う。

東海以西に住む子供達は、土曜日のお昼に学校が終わると寄り道もせずに一目散に家に帰ったものだ。もちろん「よしもと新喜劇」を観るためである。

うちのヨメが名古屋の実家から出て日大芸術学部(通称親不孝学部)へ通うために東京に移り住んだ時も、「東京ではよしもとが放映されていない!」と言う事実に甚大な衝撃を受け、今までの人生観が覆ったという。

「『あほの坂田』を知らない人間と一体何を話せばいいんだろう・・・」と当時悩んだそうだが、誰も「『あほの坂田』以外の事を話せばええやん。」とツッコんではくれなかったらしい。

ちなみにウチのヨメは名古屋出身で学生時代以外の殆どを名古屋で過ごしてきている。西側の人間だ。

私は大学卒業まで宮城県で暮らし、その後は勤め先の他県を点々として塩竃へ帰ってきている。東側の人間である。

当然、交際当初はこの壁が厳然と立ちはだかっていた。

 

ヨメの思考回路は一般の人類とはかなり違っており、専門的予備知識が無い人間が彼女の話を聞いてると頭の中に「?」がどんどん増えていく仕組みとなっている。彼女に言わせればそれは「私の教養レベルが低すぎる」らしいが。そんな彼女が突然ボケ始めると、こちらはボケている事にすら気づかない。ボケたあとにツッコミの為の間を開けられてもこちらは「?」と答えるしかない。

そんな私を呆れた目で見つめ、「こんなんも分からないの?」的な事を言われネタを開かされる。それが古典落語だったり、室生犀星の詩の一節だったりするのだ。「そんなん分かるかい!」とここで始めてツッコめる状態になるのである。当時の私の実力ではこの「2段階式ツッコミ」が限界であった。

 

考えてみて欲しい。

西側の人間は生まれた時から「よしもと新喜劇」を見て、「ボケとツッコミ」という概念を知る前にすでに体で覚えている。いわば生まれた時から「ボケとツッコミ」の英才教育をされているエリート達なのだ。彼らの中では「ボケとツッコミ」はもう当たり前以前の問題で、「スカシボケ」「キレボケ」「ノリツッコミ」「セルフツッコミ」等、「どうボケるか」「どうツッコむか」を日夜微に入り細に亘(わた)り探求しているのだ。

東側の人間は、その人を判断するとき「容姿はどうか」「信頼できるか」「経済状態はどうか」等を見るが、西側の人間はまず「おもろい奴か」から始まり、「ボケか」「ツッコミか」「どのタイプのボケか」「どのタイプのツッコミか」でその人間を判断するのである。

 

こんなエリート達に、東側の人間が敵う訳がない。しかし私は、なんとかヨメにぎゃふん(古語)と言わせようと、その「異次元ボケ」にツッコむべく日夜果敢に挑んだのであった。

 

当初は悲惨の一言であった。当てずっぽうにツッコんだり、大体の見当をつけてボケ返したりするのだが、私のツッコミやボケ返しの後に漂う「どうすんの、これ・・・」な空気に二人とも呆然とする日々であった。

しかし日々当たって砕ける事を繰り返していくうちに、私はヨメの致命的な弱点を発見した。

「ツッコめない」のである。

なので私が「ボケ返し」に出た場合、ヨメもボケ返すしかなく、二人で延々とボケが続く事になる。これは悲惨である。

その場合、エリートでない私は「誰かツッコんで!」か「もうええわい!」で終わらすしかなくなる。これはある意味「ツッコミの放棄」とも言えるだろう。

 しかし継続は力なり。そんな事を10年以上続けた結果、なんとか並のツッコミ位はできる様になり、「どうすんの、これ・・・」状態は回避できる位の実力はついたのである。西側のエリート達に及ぶべくはないが。

 

私は東側の人間として、「吉本の壁」を10年かけてよじ登り、少しばかりではあるが西側に入ったのである。そこである真実に気がついたのであった。即ち、

「西から東への壁超えは幽閉であり、東から西への壁超えは解放である」

という事である。これを「太陽の法則」という。

 

具体的に言うと、西側の人間が東側へ行き、周囲に合わせてボケとツッコミを我慢して生きる事は苦痛であり牢屋に入れられる様なものであるが、逆に東側の人間が西側へ行き、努力は必要だが何とかボケとツッコミをマスターすれば、新しいコミュニケーションの地平が現れて世界が広がるのである。

それはまるで豊臣秀吉が始めて女を知った時に「わしは世の中の事は何でも知っているつもりじゃったが、実はこの世の半分しか知らなかった!」と叫んだのと同じといえよう(この項目は未検証です)。

 

東側において所構わずボケまくる西の人間を冷たい目で見るのを止めて、そのボケに何とかツッコんでみる事をお勧めする。きっと新しい地平が開ける事だろう。

ただし、「どうすんの、これ・・・」状態になっても自己責任でお願いしたい。

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コメント: 1
  • #1

    若おかみ (土曜日, 17 4月 2021 09:10)

    ちゃんとツッコンでるけど気づいてないんやん。東側の生活はツライ。