「何を考えているの?」と聞かれたら、「『今日何を食べようか?』しか考えてない。」と答えるのが常だが、ほぼ事実と見て間違いはない。「思考」というものはとても鈍臭いし、人間を害する最大のものなのであまり使わないようにしているのだが、食べ物の事を考えるのは大切だし何より楽しいから大丈夫だろう。
「良いヨーギ(ヨガ行者)は良い食べ物で作られる」という言葉もある。また、自分の波動を食物に乗せて「食べること」を通じて教えたインドの聖者もいる。禅寺では、庫裡(くり 台所)に入って粥飯を大衆(だいじゅ 修行僧)に供する飯頭(はんじゅう 食事係)になれるのは、かなり修行の進んだ僧だけだった。好むと好まざるに関わらず自分の波動を他の修行僧達に分け与えてしまう訳だから、当然良い波動の人間しか食事を作れない事になる。
戦争経験者が皆で戦時中の話をすると、出てくるのは食べ物の話ばかりだという。当時の政治情勢や戦局、兵士の武勇伝などは殆ど話題に登らず、出て来るのは
「あの時食った芋粥の旨さは忘れられない」とか、
「何も食べるものが無くて雑草を摘んでお浸しにした」とかいう話ばかり。
「心に通じる道は胃を通る」というのは開高健の口癖だった。世界中を旅して、人間の裏側だけを舐めるように観察し続けた者の言葉であるから、重い。真実だろう。
だから、という訳ではないが、客人が来たときに私達が真っ先に考えるのは「何を食べさせようか?」という事である。食材の乏しい地域ならばこれは厄介な問題であろうが、ここ塩竈では逆に「あれもこれも食べさせたいが、どれにしよう?」と楽しい悩みを悩む事になる。
塩竈は古来奥州一宮(東北第一位の社)がある港町として国や伊達藩から特別の保護を受けて栄えてきた。伊達藩における塩竈入港義務、租税免除や補助金など、はっきり言って藩や国に「えこ贔屓」されてきた街である。
こういう場所には往々にして「隠れ金持ち」の旧家が多い。塩竈も、一見地味に暮らしている様に見える家の地下にワインセラーがあったり、祭りの度に札束を神社に寄進する家があったりして、全く油断ならない街である。
「こんな小さな街に、何でこのレベルの店があるの?」という「隠れた名店」が多いのも、この「隠れ金持ち」達という常客がいるからこそと思われる。
松島の影に隠れて、その存在さえ知らない人が多い地味な街だが、東北を代表するフレンチの名店や、世界中を食べ歩いたミュージシャンを始め誰もが「今まで食べた中で一番美味しい」と言うピッツェリア(ピザレストラン)や、今は無くなったが塩竈の地酒と店主の見識と人柄を慕って全国から客がくる浦霞のみ(1蔵で40銘柄以上)の日本酒バーとか、名店揃いの街である。
中でも寿司店の多さとレベルの高さは群を抜いており、寿司屋の数を人口で割った「寿司屋密度」は日本一を誇る。各家庭「お気に入り」の寿司屋を持ち、隣とは違う店から出前を取るという街というのも珍しいだろう。
新鮮な海の食材にも事欠かない。水揚げ日本一を誇る近海の生マグロや、「日本一の赤貝」と言われている閖上(ゆりあげ)の赤貝、松島湾の牡蠣、毎年「目黒のさんま」イベントで有名な気仙沼のさんま等。これらの食材を集めた塩竈魚市場は一般開放され、観光客や飲食店の仕入れで年中賑わっている。
蛋白質部門だけではない。
300年以上続く一子相伝の和菓子「志ほがま」や、ここが発祥の地でもある仙台駄菓子店、「宮城県で一番旨い」と言われている小さなパン屋(松島町)など、糖分・炭水化物部門も負けてはいない。
この塩竈の怒涛の「味覚攻撃」を文字通り食らった亜凛さん達は、ひとたまりもなく塩竈の虜になり、帰る前からもう次のイベントの企画を固めてしまった程である。塩竈恐るべし。
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若おかみ (土曜日, 15 5月 2021 10:24)
朝食、夕食は殆ど我が家の手料理を食べてもらいました。普通のお惣菜ばっかり。それでも美味しいと言って食べてくれました。みんなでちゃぶ台囲んで食べたことが、なによりの調味料になったと思います。
また来てね。