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あそびをせんとや生まれけむ

退職して以来、1日じゅう遊んで暮らしている。

 

もう8ヶ月位になるが、まだまだやりたい事の10分の1もやっていなくて、時間がいくらあっても足りない。毎日、夏休みの子供の様に目が覚めて飛び起きる。「今日は何をしようか!」

 

何をやってもいいのだ。朝から酒を飲んでもいいし、畑の椅子でぼーっとしててもいいし、街に出て仲間と遊んでもいい。

組織に所属していない状態で人と会うのはとても楽しい。会社世界にいた頃はどこに行っても嫌われ者だったが、フリーランスの世界に入ってみればどこに行っても主役か人気者である。

福島には再生中の古民家、郊外には800坪の秘密基地があり、面白く改造中である。足を伸ばしてヨメと温泉に行ってもいい。1日中なーんにもしなくてもいいのだ。とにかく毎日が自由で楽しくてしょうがない。

 

・・・こう書くと、読んでいる人の中には色々な疑問や感情が湧いてくる事だろう。

 

疑問の第一は経済面の事だろう。

 

お金は仲間のおかげで迷惑かけながら何とか回している。これから独自の方法でも稼ぐ予定だ。

何せ「若なかま」には各分野の日本トップレベルの「隠れた大物」が沢山いる。音楽、芸術、茶道、整体、禅、ヒーリング、観光、建築。「本物」は決して表に出てこない。知る人だけが知っている。

彼らと遊ぶだけで、周りの人間たちを動かし、場合によってはお金も動かすのだ。

お金に対する疑問への回答はこんな所である。

 

 

次は感情面を見てみよう。「遊んで暮らしてるよ」と言われて湧く感情の代表は疑いと嫉妬、攻撃ではないだろうか? 今回はそこに深く切り込んでみたい。

 

あそびをせんとや」でも書いたが、人は働く為に生まれたのではない。遊ぶ為に生まれたのだ。

 

その根拠の一つとなるのは、死の床についた末期患者たちの証言である。

死の瞬間、そこに社会はなく、他人もなく、金も物もない。これから全てを失うのだ。その状況になって初めて人は「本気」で「自分の幸せ」について考える。普通に生きている期間の何十倍の密度と深さで、「本気の本音」で考えるのだ。そこには真実が宿らざるを得ない。

末期患者の「死の床」での証言によれば、人が死ぬ前にする後悔のベスト5は以下である。

1. もっと自分らしく生きればよかった

2. あんなにガムシャラに働かなくてもよかった

3. 言いたいことははっきりと言えばよかった

4. もっと友達と連絡をとればよかった

5. もっと自分の幸せを追求すればよかった

  −The Top Five Regrets of The Dying 「死ぬ瞬間の5つの後悔

以上を人間の内面運動的に要約すると、

 

もっとハートをワクワクさせて生きれば良かった

 

という事になろう。人間の本質はハートなのだ。これが真実である。

(ちなみに、「死の直前の心理状態」をリスクを追わずに経験する方法が瞑想である。)

 

しかし現代社会では、この考え方が広がると困る人々がいる。

それが誰かと特定は出来ないが、この社会を経済的に支配している人間達である。

現代社会においては、彼らが自分の既得権益を守る為に実に巧妙に様々な操作がなされていて、人々は「自分が操作されている」という事に気づいてすらいない。

 

ハートのワクワクに従って生きる人間が会社に居たら大変である。彼は次の瞬間何をしでかすか分からないからだ。「ワクワク」と「コントロール」は正反対の物である。現代の会社や社会は、人間の本質に反して無理矢理作られており、その「不自然」なシステムを維持するために行われているのが国家を挙げた「教育」である。

 

現代社会においてトップグループに居る人間達は主に高度な教育を受けた者達である。有名大学の名前は就職時の切り札となっている。しかし、現代の教育は受ければ受ける程、人間の本質から外れた「不自然」な人物になっていく仕組みとなっている。知性でシステムを維持するスキルだけが磨かれ、人間の本質に沿った「自然な」仕組みというものからどんどん外れていく(「そうではない」という批判は承知の上で、敢えて分かり易く極論で展開させてもらう)。

 

私は東大生を数人知っているが、私の知る東大生達に限って言えば、皆人間として大きく何かが欠けている。

彼らの頭の中には「システム」と「論理」しかない様に見える。「論理的に正しければ正しい」と単純に考え、人間の自然な感情に関する感性は極めて乏しい。物心付いた時から人生のベクトルを「勉強を武器にして勝つこと」のみに向けていたから当然とも言える。

 

九州で産廃処理施設の建築現場にいたある東大卒業生は、現場のトップに居ながら殆ど現場に出てこず、部屋に閉じ籠って書類と睨めっこばかりしていた。会議に出て職人達の意見を聞いてもまるで他人事で、何を言っても自分の世界から出てこない。心の疎通を取る手段が無いので論理で動かすしかなく、現場は彼をコントロールするのにほとほと手を焼いたものだ。

 私の知る東大生の特徴は、感情の光の無い、自分の頭の中だけを見つめている様な目である。この様な人間達が日本のトップに居るのかと思うとゾッとする。

 

現在の建築現場においては、管理システムが高度化し、職長以上の人間は毎日山の様な書類を書かされる。彼らは書類作成だけで疲弊しきってしまい、肝心な現場での活動に支障をきたす事もしばしばである。「現場の人間の安全を守るため」というお題目は理解できるが、実質は事故があった時の上層部の責任逃れの手段となっている。これも上部の人間の頭の中に「システム」と「理論」しか無い事の弊害であろう。

 

ここで元の話に戻って、私の様な「経済二の次でハートをワクワクさせて生きている人間」を見たときに起こる「疑い」「嫉妬」「攻撃」等の否定的感情について考えてみよう。

 

ここで現在の地球とは別の知的生命体が存在する「普通の惑星」があると仮定してみる。

 

「普通の惑星」でも人間の本質は変わらなくハートである。人々はごく普通に、「ワクワクすること」だけを行って暮らしており、ここではそれが常識となっている。皆基本的に幸せでありハートが開いているので、人の喜びは自分の喜び以上の喜びとなる。それが「普通の惑星」の「普通の人間」なのだ。

もしこの「普通の惑星」において、「論理」と「システム」を優先して「ワクワクしないこと」を敢えてやっている人間がいれば、彼は「病気」と見なされ、「病院」において「人間らしさ」を取り戻す治療を受ける事になるだろう。なぜなら、彼が「ワクワクしないこと」をすることによって発する「他を害する波動」は、この「普通の惑星」にとって有害だからである。

 

ここでもしあなたに、「全員がワクワクすることだけをやっていたら経済や社会が崩壊してしまうだろう」という思いが沸いたとしたら、それこそが「教育」の成果なのだ。あなたは既得権益者に上手く騙されてしまっており、しかもそれに全く気付いていない。まさに既得権益者の思う壺に入っている。

この、「ワクワクによる社会崩壊」を危惧する人々の心には「エゴ」が強く形成されている。教育とはこの「エゴ」の強化に他ならない。「エゴの法則」は自利他害であるから、当然それに従った社会は崩壊する。

 

実際の「普通の惑星」においては、人々の心は人間が生まれた時から持っている「ハート」で形成されている。「ハートの法則」は「喜びの分かち合い」である。好きな事をやっていれば自然に他人を助ける事になるのだ。ここでの最高の喜びは「他人の喜びを見ること」である。崩壊させようと思っても出来ないだろう。

 

さて、この「普通の惑星」から地球を見たらどう映るだろうか? 言うまでもあるまい。

 

 

異常なる病気の星」である。

 

地球での常識はことごとく「普通の惑星」の常識に反している。あり得ないくらいに。宇宙の奇跡と言ってもいい。

地球の常識人が「普通の惑星」に行ったら皆大騒ぎして「病院」に送り届けるだろう。そして心配しながら病院の周りで祈りを捧げる集団が出来るに違いない。

「ああ、神よ、この哀れな人をどうか助けて下さい!」と。

 

ここでもう一度言ってみよう。

 

私は定職に就くこともなく、ワクワクを最優先に、仲間達と遊んで幸せに暮らしています!

さあ、あなたの心の中で動いたのは「エゴ」ですか? 「ハート」ですか?