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あいまみえる 愛魔見える

道楽庵のあり方として一番に掲げている事は、「まみえサイト」という事である。

 

 

どういう事かというと、まず「あいまみえた(実際に会った)」人々と作る「よりあい」としての「道楽庵」があり、それを補完する手段としてこのネット上のHP「道楽庵」があるという事だ。

よってこのHPは、一般的なHPとは大きく違ったあり方となっている。

 

このHPの目的は、道楽庵としての立場を明確に説明する事であり、それをメンバーと一般の人々へ伝える事である。

なので、ここ道楽庵の記事において第一に心がけている事は、なるべく正確で真実に近い表現で「伝える」という事だ。

 

通常のHPは、不特定多数の人々を「集める」事が目的となっており、その記事の要点は「人々の気を引く」という事になろう。

しかしここ道楽庵においては、「人々を集める」のは現実世界での自分達の地道な活動であり、実際に「あいまみえて」メンバーにするかしないかを判断している。「HPを使って人々を集める」という目的が「無い」のである。

これは記事を書く側にとって大きな解放となる。「読者に媚を売る」必要が無くなるからだ。

 

なので、この「HP道楽庵」のあり方は普通のサイトとは真逆になる。

どういう事かというと、普通のサイトは「人を集める」事が目的だが、このHPにおいては「人を選別する」事が目的となる。はっきり本音を言ってしまうと、雑魚を何万人集めても仕方がないのだ。

 

ここ「道楽庵」は、「100万人の凡人」よりも「1人の天才」を求めている。1年活動して天才を3人見つければ成果としては十分と思っている。実際に3人以上の「天才」はもう見つけているので、1年間1人もHPに来なくても全く構わない、訳ではないがもっと別方面の天才が欲しい所だ。

 

・・・と、こういう事を書くと、「コンチクショー!」と思う人も居るだろうが、逆に「我が意を得たり!」と喜ぶ人間も居るのである。道楽庵が求めているのは正にそういう人種であり、その人間は「同志」と思っている。

 

また私は、人々の「ネット人格」と言うものを微塵も信用していない。これは自分の経験から来ている。

ネット上で知っていた人と実際に会う、いわゆる「オフ会」などに行って、ネット上より面白い人に会う事は稀で、「こんな程度か」という人が殆どである。逆にネット上で朴訥な人に実際に会うと異常に面白かったりする。

全体的に言うと、ネット人格は「見せる為の人格」であり、その人間の一番良い一部分だけで構成されているか、その本人に全く無い別人格である事が多い。

 

人間にはエゴがある。このエゴが一番知らないのは、「自分自身の実像」である。

エゴは基本的に自分に自身が無く、その為に思考の中で「理想の自分」を作り上げてそれを「真実」と思い込む。良い悪いの問題ではなく、エゴとはそういう性質があるというだけの事である。

ネット上はこの「勘違いの嵐」が常に吹き荒れている。それを分かって楽しむのなら別に何の問題も無いが、ネット人格を本当の人格と思っていると、後でとんでもない思いをする事にもなりかねない。

 

私の知人で、ネット上でそこそこ知られている人物が居る。

彼の「ネット人格」は、明るくて素朴、趣味も多く人生を楽しんでいる様に見える。

 

しかし実際に彼と会ってみたら、いわゆる「オーラが無い」種類の人物であり、表情も「突き抜けた明るさ」は無く、いつも腹に何かを隠している印象で、表面上の付き合いしか出来ない。核心的な部分に来ると常に自分の都合を主張して、他人を思いやる余裕は無さそうだ。言葉は丁寧だが、中身は単なる自己主張である。実際の友人は少ないだろう。

 

この人のSNSでの活動を見ていると、無闇矢鱈に「いいね」をして、コメント内容も的外れな事が多い。実際に相手の言わんとする所は分かっていない事が良く分かる。こういう人の「いいね」は貰っても少しも嬉しくない。

 

単なる「友人の友人」で、その活動内容も趣旨も明らかに分かっていない記事にも「いいね」をする様は、見ていて心苦しい。

現実に会っても、半分位の時間はスマホで別人物への「いいね」に忙しい。目の前にいるのに話が出来ないのである。

 

この人の意図は明確である。彼は現実の友人がいない寂しさをネット上の「擬似友人」を集める事によって埋め合わせているのだ。彼にとってはネット上の友人の数が自分の価値なのである。中身が伴わなくても数が多ければそれでいいのだ。

 

ネット上の人気者は得てしてこういう人物が多い。私は散々それを見てきたので、自分のHPではネットの中にいる人々に甘い嘘をつくのは止めようと思ったのである。

 顔も知らない、会いもしない人物に何を思われても言われても、痛くも痒くもない。「実際に会って文句を言いたい」と言う方がいたらむしろ大歓迎である。メール下さい。

 

私は今でこそこんな立派な「バカ。駄々っ子。猿。(by若おかみ)」だが、数年前までは限りなくアスペルガーに近い対人恐怖症だった。

仕事でも人に会うのが億劫で、良く車の中で気配を消してサボっていたものだ。コンビニの駐車場で7時間、ピクリとも動かずただ精神的苦痛に耐えていた事もある。

こんな社員、「俺が社長だったら絶対にクビにする!」と自分で思っていた。置いてくれた社長達には、今になって改めて感謝の念が湧く。こんなヤツ良く我慢できたものだ。

 

そんな自分が「ゆる体操」や瞑想で人格が180°ひっくり返った頃、流石に社長の我慢ゲージも満タンになって目出たく「会社都合退職」となり、「これ幸い」とばかりに「道楽庵」を立ち上げたのである。

今は毎日の様に人との出会いを楽しんでいる。

「人と会うのが楽しい」なんて、数年前の自分にとってみれば奇跡である。他人は恐怖の対象であり、会えば「どう自分を誤魔化すか」だけを考えて接していたものだ。表面だけの嘘の付き合いである。もちろん心からの友人など一人もいない。

 

あの頃の自分と今の自分の何が違うかは、経験した本人なので非常に明確に分かっている。

 

まず、ゆる体操により「肉体的エネルギーが増え、生活に余裕が出てきた」事が第一である。それまでは生活や仕事に廻すべきエネルギーが全て精神的苦痛と戦う事に費やされていたが、ゆる体操によって体の動きが軽快になると共にエネルギーが湧き出る様になった。それによって気分も前向きになり、物事に積極的に取り組める様になったのだ。

 

次に、瞑想を深める事により以前より「自分の評判を気にしなくなった」事、言い換えると「エゴが少なくなった」事である。

 

これらについては稿を改めて述べたいと思う。