ナカマと サケと セッションと その1

 

ナカマと サケと セッッションと 

オトコあそびぞ をかしけれ

私の一番の愛読書は、椎名誠の「わしらは怪しい探検隊」である。

というとこの文体の元ネタがバレてしまうが仕方ない。でも猿マネじゃ無いからね。

 

もうこの本が好きで好きで何回読んだかわからない。文句なしに椎名誠の最高傑作と思う。

何せ文章の「ノリ」がものすごい。もう考える前に筆が勝手に突っ走っている勢いで、読む者を一気に引き込んでしまう。時系列と場所が縦横無尽に入れ替わるが、全体の勢いは全く止まらないという奇跡的な本だ。

この本に比べれば後の「怪しい探検隊」シリーズは出涸らしみたいなものである。この本で椎名誠の「一番ダシ」は全て出尽くしてしまった。本人も、「あれだけ楽しんで書いた本は後にも先にも無かった」と語っている。

 

そこに書かれている世界は、完全なる「オトコ遊び」の世界だ。と言ってもゲイシャを呼んで「こんぴ〜らふ〜ねふね」とかやる類のモノではなく、純粋に「オトコ等だけ」で肉体を使って自然の中で酒を飲んでバカをやるだけの話である。どちらかと言うと体育会系の「部活」に近い、ハタから見ればある意味とても「むさ苦しい」世界でもある。

 

女達が集まると「永遠のおしゃべり」が止まらない世界に入るが、オトコ達が集まると「火付け役」がいない限りは無言の世界であり、体を使って黙々と「遊び」という「仕事」が進行していくハードな世界になる(本当か?)。

「カラダで語る」のが本当のオトコである(本当か?)。

「口で語る」にはオトコは酒の力を借りなければならない(本当か?)。

ホントである。

 

この本には、いい年こいたオトコ達がある日わざわざ集まって離れ島に重い一升瓶を背負って分け入り、藪蚊に食われながらテントを張って焚き火宴会をして口からガソリンを吹いたりする様子が克明に描かれている。この本を開く時はいつも片手に酒を用意して、本の中のバカなオトコたちをサカナにしながら「呑み読み」する事にしている。私の一番楽しい読書である。

 

こんな「オトコ遊び」の世界に多くの人が憧れ、キャンプブームの火付け役にもなったが、この本に書かれている本当の「オトコ遊び」が出来る人間は殆どいないだろう。なぜなら、そこには二つの「条件」があるからである。

それは、

 

ひとつ、自分がバカであること。

 

ふたつ、バカな仲間がいること。

 

である。

このマウント取りばかりの小利口な情報化社会において本当に「バカ」をやれる人間などほんの一握りしかいない。職場はもちろん、親戚やご近所やショップ仲間をかき集めてもその中に「バカ」が含有している確率は極めて低いのである。

 

やりたい。けど、できない。

 

だからこそ、この本がいつまでも売れ続けている。

 

しかし。

この世知辛い現代日本社会において、奇跡的にバカをやって生きている者がいる。

 

 

私である。

相当のバカでも、私の事を「バカなヤツだなぁ」と言うのを私は何度も聞いている。私のバカはもう客観的に実証されていると言ってもいいだろう。

何せ定職に就かず自ら「遊び人」と名乗り、遊ぶ為に寄付金を募りそれで遊んで食っていこうという人類初の試みをしている。これ以上のバカがいるだろうか?

 

そんな私に負けず劣らずの「バカ」の集団が「若なかま」達である。

その中の代表格と言ってもいい南澤靖弘さんは、日本でも有数のシタール奏者で、「天空オーケストラ」のメンバーとしても活躍し、世界や日本各地で公演を行ってきたミュージシャンである。

彼とは10数年前藤條虫丸さんを介して知り合い、去年「道楽宴其之壱 たましいが共鳴するとき」でコロナ禍の真っ只中で有観客公演を行うというバカを一緒にやった仲である。

 

京都在住の彼は富山公演と北海道公演の合間に3日間宮城に寄ってちょっと遊んでいこうと言う訳で私の所に来てくれた。なので私は3日間の「オトコ遊び」を楽しんだのである。

 

彼の「バカさ」加減はもしかすると私のそれを上回っているかもしれない。何しろ彼の信条は「好きな事だけをやって生きる」で、それを長年、本当に実行して生きているのである。まさに天空を歩くようなストレスフリーの生き方で、唯一無二の存在感を醸している貴重な人である。

 

そんな希少な「バカ」が二人寄って、さらにもう一人の「バカ」が加わって、宮城のある農村部落の「バカ密度」はその日部落史上最高値を記録したのであった。

つづく

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コメント: 1
  • #1

    若おかみ (土曜日, 26 6月 2021 05:37)

    賄い担当の予定が体調不良で出走取消。
    結果的に良かったのかな?