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箒一本、100万円

 

ただしコレは11万円。

「100万円の箒」があるのをご存知だろうか?

その製造元に行ってみた事があるが、その100万円の箒を買った人は、あまりの使い心地の良さに次の年に「もう一本」買いに来たという。

 

数年前のある期間、私の内面がひっくり返る事が次々起こり、所謂「ナチュラルハイ」状態が続いていた事がある。

その時に私は「今後の人生への投資だ」と言う大義名分で次々と狂った様にモノを、しかも最高級品だけを買いまくり、それまでの10数年で溜め込んだ貯金をたった1〜2ヶ月で使い果たしてしまった。

 

その時に岩手の製造元まで行って買い求めたのがこの箒である。一番高いもので片手持ちの小箒の11万円であった。

南部箒」という。おそらく日本で一番有名な箒である。

製造元の高倉工芸は岩手県九戸(くのへ)村にあり、原料の「箒もろこし」の栽培から行なっている。

その特徴は丁寧な手仕事による美しい「編み上げ」と、普通の箒ではあり得ない穂先の「縮れ」である。

 

有機栽培で育てられる希少品種の箒もろこしが、ここ九戸村でオホーツクからの冷たい北東風の「やませ」に吹かれながら育った時だけに出来るこの「縮れ」により、絨毯の奥に入り込んだ埃も逃さず掻き出す事が出来る。

「縮れ」の大きさは同じ畑でも1本1本異なり、手作業で収穫した箒もろこしを厳密に選別して「縮れランク分け」をする。このランク分けで「チャンピオン」になった箒もろこしで作られた両手持ちの箒が冒頭に出た100万円の逸品である。最も縮れの強い箒もろこしを3年間集めてやっと1本製作できるという。

 

また、10年以上修行した職人達の手技で作られる「編み上げ」により、いつまで見ていても飽きない美しさが生まれ、箒自体の堅牢性も高められる。美的にも耐久的にも「一生モノ」の箒になる訳である。

 

 「一生使うのであれば、使用料1日50円の価値として50円×30年=55万円の価値が出る。10万円なら安い買い物だ。」と、いつもの「価値観計算」で論理武装を固めた私は、ヨメに九戸行きを告げたのであった。

 

私が「モノ」を買う時に心がけている事は、「なるべく生産者に近い所で買う」という点である。

一番良いのは製造元に行って生産者に「あいまみえ」て直接購入する事だ。それが不可能ならば、その生産者と懇意にしている店の担当者から話を聞きながら買う。個人的にも生産者と付き合いがあり、話からも生産者の体温が伝わってくる様な担当者がいればそこは「良い店」である。それも不可ならせめて店頭の現物を見てから買う。

一番面白くないのは、写真と宣伝文句だけを見て通販で購入する事である。これは実用品か既に知っている商品以外はなるべく利用しないようにしている。

 

そんな訳で、この「南部箒」を購入する時も、財布を軍資金で膨らませ、ヨメを隣に乗せてドライブすること4時間、まるで「日本むかしばなし」に出てくるような牧歌的な里山まで「箒購入ツアー」を敢行したのであった。

九戸インターを降りて少し走ると、広い空の下に田んぼと里山だけののどかな道が続く。商店も看板も無い。目に映るのは空の青と地上の緑だけである。

この光景を「なーんもないじゃん、つまんねーーー」と捉えるか、「あ〜、い〜い気持ちだなぁ〜〜〜」と捉えるかでその人の人生は全く違うものになるだろう。もちろん私もヨメも後者である。「ーーー」な人生より「〜〜〜」な人生の方がいい。

 

さて、その「な〜んもない」一本道の横に控えめに立てられた「高倉工芸」の看板を曲がってクネクネの山道を登る。「本当にこんな『な〜んもない』場所に製造所があるのかな?」と少し不安になった位の所でプレハブ2階建ての製造所が現れた。

車を降りても聞こえるのは風の音だけである。「本当に製造してるのかな〜?」とまた少し不安になるが、南部箒は全て手作業で作られているのだから製造所に付き物の機械音などあるわけがないのだ。

 

2階の作業場では、先代社長の高倉徳三郎さんと数人のおばちゃん達が箒もろこしとの無言の会話に没頭していた。社長の高倉清勝さんは実演販売で日本中を飛び回っており不在である。

 

徳三郎さんに完成品置き場を案内してもらう。

どこを見ても箒、箒、箒だ。こんなに箒に囲まれたのは生まれて初めてである。

 「これ見てみて。」徳三郎さんが1本の箒を持ち出して来る。両手箒の50万円の逸品だ。

 

「はー・・・・」としか言いようが無い。

 

これが箒か。まるで人間国宝が作った伝統工芸品である。

良い作品は見る人の視線を優しく吸い取り、つまでも眺めていられるものだ。逆に良くない作品は見る人の視線を弾き返し、その反射に耐えられなくなって視線を逸らしてしまう。

天然染料で染め上げられた美しい編み糸を使った、1mmの狂いもない緻密な編み上げ。螺鈿(らでん)が施された丁寧な漆仕上げの柄。私の視線は心地よく吸い取られ、引き込まれる様に見てしまう。

 

「・・・『縮れ』だよ。」箒の上部ばかりに目を奪われているのを見た徳三郎さんが、私の視線を下に誘導する。

「?・・・へー!」どうもここにくると「は行」の言葉しか出てこない様だ。感動の「はー・・・」の後は驚愕の「へー!」である。

 

なんだこの「縮れ」は?

鈴鹿のS字カーブ所ではない。まるで中国湖北省にある「十大拐」(10大カーブ)である。

南部箒は、その製作にかかる手間と技術ももちろんだが、この一本は何より1年で数本分しか出来ない貴重な箒もろこしで作られるから高価なのだ。本質はそれである。

この縮れがあるお陰で、箒の穂先が畳や絨毯の奥深くに入り込み、隠れていた塵を掻き出せるのである。その実力は「掃除機以上」とも言われている。

 

「すごい『縮れ』ですね。」

「そうだろ。そこまでのは中々出てこないよ。」徳三郎さんの声に力が籠る。

徳三郎さんは今でも現役の箒職人で、その腕前は全職人達の中で一番である。色々見比べてみたが、彼の作品にはある種の「風格」があって、見ていて安心する何かが感じられた。

 

「両手箒が欲しいんですけど。」と言ったら、「部屋の広さはどの位?」と聞かれた。

賃貸マンションで、部屋数は・・・と教えていくと、

「それならこっちだな。」と行って穂先が斜めに揃えられた片手箒を勧めてくれた。

結果的にこれが大正解であった。

中腰による腰痛の危険性を考えて「絶対両手箒!」と決めていたのだが、この両手箒は広くて家具の少ない部屋が沢山ある家に向いており、我々の様な少ない部屋数でモノに囲まれて暮らしている階級の人間が手を出していいシロモノではなかったのである。

 

色々なバランスを考え、私の「ヤダヤダ」とヨメのドロップキックの応酬の結果、11万円の小箒の購入が決定した。

(箒に11万円か・・・俺もだいぶイカれて来たなぁ)という思いがふと過るが、(これは自分への投資なんである!)と納得させる。この他に和洋服箒とサッシ用箒も購入。徳三郎さんはオマケでキーボード用の可愛い箒も付けてくれた。

さらに、「せっかく遠くから来たんだから」と、電卓を弾く指を加減してくれる。

 

 これが、「生産者から直接購入する」事の醍醐味の一つで、自分が思いも付かなかった観点で商品を選んでくれたり、オマケをくれたり〇〇してくれたり・・・・と、色々な「特典」を受ける事が出来る。

 

しかし何より貴重なのは、こうして購入した商品は単なる「製品」ではなく、それを作った「生産者」の息吹が感じられる「思い出の品」になる事である。

この箒を使うたびに、九戸の広い空と田んぼの光景や、徳三郎じいちゃんのいかにも「頑固職人」といった顔付きや、長年箒もろこしと格闘して節くれだった指や、仕事場で漬物をつまみながら昼飯を食べるおばちゃん職人さん達の顔などが思い出され、ほのぼのとした気持ちになる。その価値は貨幣で換算できるものではない。

こうして南部箒達は我が家の一員となり、玄関横の「箒コーナー」に展示される事になったのである。我が家に来た人はいきなり箒にお出迎えされる訳だ。

 

さて、肝心の使い心地だが、これは「最高」と言っていいだろう。

 

まずその箒自体の「存在感」が凄い。

いい加減に作られたものは製作者の杜撰さが現れすぐに飽きるモノだが、丁寧に作られた本物の作品には製作者の細やかな意識が入り込み、いつまで見ても飽きない。

 

持った時の感触も良い。

 

手にしっくり馴染み、重すぎず軽すぎず程良い重量バランスで、見た目よりずっと楽に片手で掃く事が出来る。また、しゃがんで掃きたい時は「玉」と呼ばれる編み込みの部分を持つとそこが丁度重量バランスの支点になっており、驚く程軽く掃く事が出来る。

 

南部箒は決して床に押し付けて使ってはならない。穂先が潰れて駄目になってしまうし、何よりその「縮れ」の性能が発揮できなくなる。優しく「かするように」畳や床の上を滑らせると、「縮れ」の先端の「ヒゲ」と呼ばれる極く細い枝が畳や絨毯の奥底に入り込み、隠れていた細かい埃たちも掻き出されていく。「掃除機以上」と言われる由縁である。

 

極く弱い力で掃けるので疲れも少なく、穂先も傷まないので箒自体も長持ちする。

穂先を弱い力で繊細にコントロールする事は精緻で能率的な体遣いの鍛錬にもなり、「力の抜き方」や「重量バランスの感知」など日常生活を楽で快適に過ごす為の重要な感覚を自然に覚えられる。

 

見た目が美しいだけでなく、実に合理的に出来ている見事な箒である。

穂先が斜めになっている事も重要で、これにより片手で持った時に設置面が丁度水平になり広い幅で掃けるし、先端部分を使えば家具の角や細かい場所の埃も掻き出せる。隙間用にミニ箒を買う人もいるが、この斜め配置の小箒なら必要ないだろう。

 

この箒を購入してから、掃除が楽しくて仕方なくなり、我が家の片手箒は毎朝活躍する様になった。超早起きの私は、ぐっすり寝ているヨメを起こす事もなく掃除に専念出来る。

またこの箒で掃除し易くする為に家具の配置もシンプルなものになり、余計なものを床に置かない様になった。「箒を心地よく使いたい」という思いが、部屋の整理整頓を促す原動力になったのである。

 

モノが少なく、綺麗に床が掃除された部屋はある意味「道場」の様な佇まいになる。そこで行われる行為は自ずと丁寧な意識が入り込み日常生活がそのまま瞑想になっていく、というのはあながち大袈裟でもないだろう。散らかった汚い部屋は常にそこに居る者の意識に雑音を送り込み、思考の質を低下させるものだ。

 

箒一本、11万円。

 

それにより、いつまでも飽きない美術工芸品を毎日眺められ、毎日の掃除の習慣が苦にならなくなり、思い出と共に愛おしい思いで楽しく掃除が出来、部屋も整理整頓され、シンプルで清潔な空間が人の内面的成長を促していく。

丁寧に扱えば一生使える。

 

高い?安い?

 

購入して2年経つが、私は全く後悔はしていない。

とても良い買い物をしたと満足している。