ナカマとサケとセッションと 2

 

ナニハトモアレ、サケとメシ。 オンセンあれば言うことなし。

「こんちは」「久しぶりー」

コンビニの駐車場で軽く再会の挨拶。オトコは口では語らないのでこんなもんである。

南澤さんは相変わらず唯一無二の「天空オーラ」を放ち、長距離ドライブの疲れも見せずに「いつもの笑顔」を見せてくれる。本当にこの人は、いつも変わらず穏やかだ。怒っている姿など想像もつかない。

 

そのまま2台で美里町の「隠れ家」へ。

ここは800坪の元部落の長の家であり、私が若なかまのつてでタダみたいな値段で借りている。現在は友人のカメラマンの寺岸宏一さんの写真・音楽スタジオとして改装中である。仕上がったらかなり面白い家になるはずだ。

 

旅の荷物を下ろし、翌朝のFBセッションに備えて各々己の楽器のセッティングを済ませる。南澤さんは今回はシタールは弾かず、インドハープとタンプーラの演奏の予定である。どちらも伴奏楽器的な位置付けだが、人を深部からリラックスさせる力がある。

シタールを弾かないのは、準備やらチューニングやら何かと大変な楽器であり、朝の5:50開始のライブにとても間に合わないからである。

 

正直な話、私は今回は南澤さんのシタールを聴くのは諦めていた。

コンサートの間の「つなぎ」の期間に、大きな労力と精神力を浪費させる訳にはいかないのだ。シタール演奏というのはそれくらい体と心に負担をかけるのである。なので、まさか「あんな事」が起きるとは思ってもみなかった。

 

さて、「どんな事」が起きたかは後述するとして、翌朝の準備も済ませた我々は近郊の温泉施設に行ってみる事にした。

南澤さんも私も無類の「温泉好き」で、温泉に入った後に仲間と酒を飲むのを無上の楽しみとして生きているのである。

また、南澤さんはとても「温泉運」の良い人で、いつも想像以上の温泉に巡り合う不思議な人でもある。そうそう、この人は1年で100回近くも「虹」に出会う「レインボーマン」でもあるのだ。その生き方から来る不可思議な運を持った人である。そして私の廻りにはこういう仲間が多い。

 

隠れ家の近所にあるこの「加護坊温泉さくらの湯」も予想以上であった。街中のスーパー銭湯的なものを想像していたのだが、自然の中の一軒家で、森の緑と大きな空に囲まれて、鳥の声を聞きながら広くて清潔な露天風呂に入れるのである。私も南澤さんもすっかりここが気に入ってしまい、滞在中は毎日通う事となる。施設と隣り合った産直の野菜販売所も嬉しい。これで毎朝の味噌汁のネタには困らなくなった。

 

二人ともすっかりいい心持ちで「たれぱんだ」と化し、溶融していく体を何とか細胞壁で支えつつ帰途につく。

今日の夕食は塩竈の老舗魚屋で購入した「めちゃうま」の魚惣菜と、朝自分の畑から採ってきた野菜たちである。(写真は二日目の、やはり塩竈の老舗肉屋で購入した「めちゃうま」とんかつとメンチカツとハムカツ)

 

酒を飲みながら「瞑想」や「これからの時代の生き方」の話で盛り上がる。私の周りにはこんな「濃ゆい」話が出来る人が揃っている。なので一般的な会話をしているとすぐ退屈になって寝てしまう。サラリーマン時代はこの「普通の会話」というのが苦痛だった。眠くてしょうがなくなるのだ。

 

フリーランスになって良かった事の一つは、そんな「興味の無い会話」をしなくて済む事である。「組織に所属していない」という事がどれほど人を解放するか、というのを知ったのもサラリーマンを辞めてからだ。

逆に言うと「組織に所属している」と言うのは何重もの鎧を着せられて僅かに指先しか動かせない状態に等しいと言う事だ。その「鎧」は脱いでみないとその存在すら分からない。皆これで「当たり前」と思っている。

少なくとも一生に一度は、まだ体と心が新鮮なうちに「鎧を脱ぐ」事をお勧めする。脱げば分かる。

 

さて、そんな「鎧を脱いだ」二人が揃うと、とても美味しい酒になるのは言うまでもない。

ここでギターがあれば南澤さんの「昭和歌謡メドレー」が始まるのだが今日はギターのお出ましは無く、明日に備えて素直に寝床に入ったのであった。

 

翌朝、私はいつも通り暗いうちから起き出して、自分のアナログシンセサイザーをいじくっていた。何しろ購入してからまだまともに使った事が無く、操作方法から覚えなければならない。

ローランドのTR-08と言う、往年の名器を再現したリズムマシーンと格闘し、何とかリズムパターンを組み上げる。もう間に合わないから1小節のパターンを延々と繰り返すだけである。あとは楽器の抜き差しで誤魔化そう。

コルグのMinilogue xdは、島村楽器の店頭でいじくっているうちにどうしても欲しくなり衝動買いしてしまったアナログシンセである。私はどうもデジタルシンセの音が苦手で、聞いているうちに何だか体内を切り刻まれる様な感覚に陥り、長く聞いていられない。

デジタル音の成分を線グラフ化して拡大すると「階段状」になっており、1段目から2段目までの間の中間音はまるまる抜いてしまっている。この階段を細かくしていく事で、遠くから一見すると真っ直ぐな線に見えるが、その実はいろんな音成分を抜いてしまったジグザクの「切り刻まれた音」なのだ。

 

これに対してアナログの線グラフは完全な一本の線として表され、中間の音は抜いていないので本当の「生きた音」になる。デジタル音をレゴブロックとすればこちらは彫刻みたいなものだ。聞いてみると分かるが、生楽器に負けない存在感がある音である。

数年前までは、アナログシンセの音が欲しかったら往年の高価なビンテージ機器を手に入れるしか無かったが、最近は新製品が手軽な値段でどんどん発売されている。良い時代になったものだ。それだけ「デジタル」の音にうんざりしている人が増えているという事だ。

 

さて、これでTRのリズムパターンとMinilogeのリフ(プリセットを使う)は出来た。あとは何でメロディーを入れるかだが、ここで大きな問題が発生する。

 

私は管楽器が好きで、色々な変遷を経て結局続いているのは「オカリナ」だけ、という訳の分からない状態になっている。

生の管楽器を続けるには「環境」が絶対必要で、防音室やらスタジオやら公民館やら河川敷やらが必要なものは長続きしないのだ。家でいつでも鳴らせて、さほど近所迷惑にならないものを選んで自然にたどり着いたのがオカリナであった。

そういう利点があるオカリナであるが、当然欠点も持っており、それは「音程を調整出来ない」という事である。440Hzの管だったらそれはそのまま使うしかなく、サックスやフルートの様にマウスピースの抜き差しでピッチをいじる事が出来ないのである。

 

普通だったらこれで大体行けるのだが、南澤さんの使っている楽器のピッチは528Hzの「ソルフェジオ周波数」に合わせた調律をしており、通常使われている440よりも約1/4音(!)も高い。

これに対する対処は一つしかない。それは「大音量で吹く」という事である。それでも528に届くかどうか、といった所だ。

 

初日。セッションの途中で吹いてみる。

ダメだ。初音から全く合わない。バスオカリナの方は、大きく吹いても対して目立たない音なので何とか誤魔化してメロディーを入れられるが、問題はソプラノの方である。これは元々コンサートホール用に調整された「大音量タイプ」で、「これでもか」という位息を入れないと音程が出ない。そこからさらに音量を上げなければ528にならないのである。大音量で吹くので他の楽器との音量バランスも悪い。これじゃあ、共演者はえらい迷惑である。

 

結局まともな音程と音量が出たのは3回目の最終日であった。

しかし、この最終日に私はとんでもないバカをやらかした。

 

AM5:50、眠い目を擦りつつiPhoneをセットし、機材の扱いにも慣れてやっと渾身のライブが出来たと思い、満足してiPhoneに戻った所、どうも画面が不自然である。


「?」  ・・・嫌な予感が走る。

 

「!!」 ・・・そう。

 

私は「ライブ開始」ボタンを押していなかったのだ!

 

あの演奏の熱量は?

あの、もう二度と吹けないフレーズは?

みんな、「無」へと消えてしまった。南澤さんに平謝りする。

 

こんな場合でも、彼は少しも揺るがない。サスガ天空人である。助かる。

 

さて、次回はもう一人の「バカ」と、思ってもいなかった「あんな事」が登場する。

「オトコ遊び」は面白いなー。

つづく